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「つまらない人生」を変える5つの魔法

マドカ・ジャスミン

自分の人生を他人と比べ、つまらないと嘆いてはいませんか? このように「つまらない」と感じる本当の理由はなんなのでしょうか。コラムニストのマドカ・ジャスミンさんが、つまらない人生を変える5つのコツを紹介します。

「つまらない」。

最近、そう呟きながらごろごろと怠惰に過ごす日々が増えた気がする。幸いパートナーと同棲しているため、家から出ない日でも一切会話をしないなんてことはない。だが、タスクも特に無く、家事などもすべて終わらせてしまった日の昼下がりは特につまらなさに殺されてしまうのでは……なんて感じてしまうことも珍しくはない。

本心ではそう思っていないにもかかわらず、「わたしの人生はなんてつまらないんだろう」「ほかの子たちは今日もみんなInstagramのストーリーに楽しそうな日々をあげている」と思考が次第に奥底へと堕ちていき、しまいには精神が荒むなんて場合も無きにしも非ず。

外出するのが面倒くさくて家で過ごす時間が多いのに、外出し、楽しそうな周りを羨む。なんてないものねだりなんだろう。そして、さらにそれで機嫌が悪くなるのだから、同棲中のパートナーからすればとんだ大迷惑野郎だ。

つまらない人生ってそもそも何?

そもそも、つまらない人生とは一体全体なんなのだろうか。

「家にこもる=つまらない」は暴論

わたしの友人には、食事と週数回の習い事とたまにの通学以外はほぼ家にいる子がいるが、その子は人生をつまらないなんて微塵も思ってないだろう。

超ゲーマーなその子は、わたしの引きこもりフレンドのひとりだが、彼女とのやり取りでうっ屈とした話題になった経験は今の今まで一度たりとももない。

それくらい、彼女はゲームに熱中し、人生を謳歌しているようだ。

「つまらなくない」だけで幸福?

一方のわたしはというと、数年前は毎晩のように飲み歩き、家へ帰りたくない気持ちと持て余した性欲を糧にラブホテルや男性宅を渡り歩いていた。抜け切ることのない連日の過度なアルコール摂取と昼夜逆転生活(これは今も変わらないが……)により、自律神経がバグっていたせいで逆に少しの睡眠時間で活動が可能だったが、それはバグと若さの賜物でしかないのだと今なら理解できる。

当時は今と違い、「つまらない」と呟くことは全く無かったが、逆にこのジェットコースターのような日々をいつ終えられるのだろうと淀んだ目で早朝の空を眺めていたのもまた事実だ。

心の底から「楽しい」と言える人の少なさ

そんな当時のわたしが求めていた生活をつまらなく思うも、お酒と色恋に溺れる歳が近い友人たちの様子を見聞きしても、決してその生活を送りたくないとも思うから、どれだけ自分勝手なのかと笑ってしまう。

というか、一見楽しそうで派手な生活を送っている人たちが本当に楽しいのかさえも甚だ疑問だ。みんながみんな、自分の生活に満足しているのか。心の底から「楽しい!」と言えるのか。

わたしはそうは感じられない。なぜなら、その人たちのような昔のわたしは、今よりもずっと深く、暗い退屈から逃れるのに必死だったからだ。

つまらないと感じる本当の理由

わたしが「つまらない」とボヤきだすタイミングは、大体仕事が切羽詰まっている時期。偶然にも、今がまさにそれ。納品日が重なってしまい、低気圧やらのせいでやる気も起きない。出来ることならば、ずっと寝ていたい。

こうなると、悪循環が始まる。パートナーへの八つ当たりも増える。そして、自己嫌悪に陥り、自分の生き方さえも否定しだす。

「つまらない」の裏にある本心は?

起因は「仕事をしたくない」だが、この悪循環を唯一抜け出せる方法は「仕事を終える」だから、なんとも滑稽だ。自分でも不思議に思う。

言ってしまえば、たかが「仕事をしたくない」だけで人生までをも自己否定するなんて、話の飛躍にもほどがある。平常時に考えてみれば、ただただ謎。で、自分なりにそれについて分析してみた。

つまらないとは思考の逃避行である

わたしは「仕事をしたくない」人間ではない。むしろ、わたしの人生とは仕事があってのものだとさえ思っているくらい、ワーカーホリックの素質がある。

一度始めてしまえばガガガッとやり、月末に振り込まれた銀行口座の数字を見るのがこの上なく至高だ。でも、あまりにも一気に納品日が重なり、タイトスケジュールで進行しなければいけないとなれば話が変わってくる。

「書きたくない、書かなきゃいけない、書かなきゃ報酬が発生しない、お金が使えない」

頭の中でそんな思考がふつふつと沸き立ち、煮えたぎり、その末の爆発こそが「つまらない」なのだ。つまり、簡単に言ってしまえば、「つまらない」は「思考の逃避行」。

今ある有難い現実を否定し、もしもの現実を想像し、今を蔑む。時には憎む。なんて、愚考なんだ! でも、愚考だけに留まっているならば、それはまだマシ。その愚考に支配された果てにあるのが、きっとうつや自殺なのだから。

人生を“少し”楽しく変える5つのコツ

誰しもがこの愚考をしたくてしているわけではない。

わたしが思うに、こう考えてしまう人は取り分け真面目な人が多い印象を受ける。責任感が強く、引き受けたことはきちんと全うする。

それゆえに自分の本心としなきゃいけないこととで乖離が起きてしまうのだろう。そんな「心ここにあらず」から、わたしが自分を取り戻すために実行しているコツがこの5つだ。

STEP1:毎日湯船に浸かる

忙しい社会人は、どうしても日々の入浴をシャワーで済ませがち。わたしは元々、何か特別な理由が無い限り、絶対に湯船に浸かろうとする人間だが、時には怠惰を理由にそれをためらってしまう。

それでも、頑固として毎日湯船に浸かるのは、それが心の洗濯だとも感じるからだ。

泥のような状態でも、這いつくばってなんとか風呂釜に湯を溜め、入る。すると、身体も心もほぐれ、驚くほどリフレッシュ。

湯船に浸かってから就寝するのと、しないで就寝するのとでは感覚的にも疲れの取れ方が段違いで違う。なので、まずは湯船に浸かろう。

STEP2:積極的に人と会う

前述とはまた別の引きこもりフレンドはこう言う。「おれは別に人と会わなくても病まない」と。

わたしもそのタイプが良かったが、残念ながらそうはいかなかった。定期的に人と会い、世間話や近況報告を行わないと精神がびっくりするほど荒んでいく。そして、人に会えば、これまたびっくりするほど回復する。

普段職場で人に会っている人でも、職場の人間以外と交流を持てる時間を作るのもいいかもしれない。孤独は煙草よりも身体に悪いらしいが、あながち間違いとも言えなさそうだ。

STEP3:映画館で映画を観る

動画サブスクサービスの普及により、映画館で映画を観る人が減少しているのはもう避けては通れない現実だ。

それでもわたしは、最低でも月一本は映画館で映画を観る。

スマホや誰にも邪魔されず、何かひとつのものに没入できる機会は現代においてそう多くは無い。それが、映画であれば2,000円以内で叶うのだからすごい。

一種のマインドフルネスとも言えるし、映画館の設備も日々進化しているのだから、たまにはそれを体感しに行くのも日常の中の非日常体験としておすすめしたい。

STEP4:日用品や消耗品にお金をかける

雑に選んだものに囲まれていると、いつしか自分の生活も雑になっていく。環境が人を作るとはよく言われているが、これはかかわる人間もそうだが、かかわる物も含むと考えられる。

特に大した理由もなく買った物、安いだけで買った物、こだわりなく買った物。そういった物に囲まれれば、自分の選択も自ずとそうなっていく。

何もいきなり高級家具を買えだとか、何万円もするボトルワインを買えだとか、そういうことを言いたいのではない。どうでもいいと思ってしまいがちな対象にも気を配れば、日常のどこにも「つまらない」なんて無いと気づけるのだから。

STEP5:金額の大きい買い物をする

数万円なのか、数十万円なのか、数百万円なのか。人によって“金額の大きい”買い物は違えど、支払い時にグッと息を飲んだり、身体が妙に熱くなったり、ハラハラしたりするような額のものだといい。

「買ってしまった……」という後悔と高揚感が入り混じるあの感覚を得られるくらいの買い物でないと、「よし、明日から踏ん張って頑張るぞ」とはなれないからだ。

自分ではどうしようもならない精神状態のときは、とにかくどんな形でも、強制的に立ち上がらなければいけない状況を作ることに越したことは無い。ただし、複数回払いやリボ払いはやめるのが得策だ。つまらない人生が、一気に危うい人生へと転落してしまう。

この世界は自分の映し鏡

わたしが自戒のために思い出すのは、「世界は自分を映す」という言葉。スピリチュアルに思われてしまうかもしれないけれど、わたしはこれを自分の心に置き、時折繰り返し呟いている。

自分こそが世界。

この現実に「つまらない」と感じているのなら、それは自分がつまらない状態になっている以外の何ものでもない。こう思い、「やっぱり自分なんて……」と塞ぎ込むときもあるが、少しずつ仕事を片付けていくにつれ、「わたしって天才か?」と思い始めれば、世界も順じて変わっていく。

それくらい自分の意識を変えるのは簡単なのだ。もう少し気楽に、それでいて世界と自分の可能性を信じてみるのはどうだろうか。

(マドカ・ジャスミン)

※画像はイメージです

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