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見返りを求めない人の考え方。「してあげたのに」をやめて恋愛上手に

コラムニスト・ひかり(恋愛コラムニスト)

誰かに何かをしてあげたとき、見返りを求めてしまうことはありませんか? 「私ばかりやってあげている」「なぜ何も返してくれないの?」と不満が募ることも。この記事ではいい人間関係を築くために、見返りを求めない人の特徴やそういう人になる方法について、恋愛コラムニストのひかりさんに解説してもらいました。

相手に何かをしてあげたときに喜んでくれないと、「せっかくやったのに!」と不満を抱くことはありませんか?

中には、相手が喜んでいないことをしているにもかかわらず、見返りを求める人もいます。

それでは、大切な人との関係を壊してしまいます。

見返りを求めない、無償の愛を抱ける人になるには、どうしたらいいのでしょうか?

見返りを求めないのが、本当の愛情?

「本当の愛は無償のもの」だと言われますが、どういう意味なのでしょうか?

それは、逆のことを考えてみればわかります。

見返りを求めて相手に何かをする人は、自分のためにやっていることも多いので、相手に愛情を注いでいるようで、実は“自己愛”を抱いているだけなのです。

では、見返りを求めない人は、どうして無償の行為ができるのか? というと、自分の内側からあふれ出る愛情があるから、自然と相手が喜んでくれることをしたくなるんですよね。

その結果、相手が喜ばなかった場合は、「どうして喜んでくれないの?」ではなく、「相手にとっては、喜ぶような行為じゃなかったんだ。喜ぶものだと勘ちがいしちゃったな。次はもっと喜ばせよう」と思うものなのです。

「相手の幸せを考えること」こそが、愛情です。

相手が喜ばないことをして、「ひどい! なんで喜んでくれないの? せっかく私がやってあげたのに!」なんていう人の抱いているものが愛情ではないことは、これでわかりますよね。

見返りを求めない人に共通する特徴

では、そんな「見返りを求めない愛情を注げる人」とは、どんな人なのでしょうか?

4つのポイントを見ていきましょう。

(1)きちんと自分を愛している

まずは、自分のことをきちんと愛せていない人が、人のことなど愛せる余裕はありません。

愛は人からもらうことで増えるのではなく、自分が愛することで、自分の内側から増えていくものです。

まずは、自分を愛して、自分の内側に愛をたくさん増やすことが大切です。

それによって、人にも注げるほどの余裕を持てるのです。

(2)相手に依存せず、自立している

本当の意味で、人を愛せるようになるためには、まずは精神的な部分で自立していることが大切です。

自立していない人は、相手に依存して(=相手を利用して)幸せになろうとします。

そんな人が見返りを求めずに愛情を注ぐことは、難しいでしょう。

自立していて、自分のことをきちんと満足させられているから、心にも余裕があり、見返りを求めない愛情を相手にも注げるのです。

(3)「本当の愛」を学ぼうとする意志がある

見返りを求めない、純度の高い愛情を抱くことは、言葉で言うほど簡単なことではありません。

ちょっとやそっとではできることはないのです。

「生涯をかけて、無償の愛が抱ける人に近づけるように成長し続ける」くらいの長い道のりです。

そんな難易度の高いことを目指すためには、「自己を成長させて、より本物に近い愛を抱けるようになりたい」と思う強い意志が必要です。

それこそが、自分に対する本当の愛情だとも言えるでしょう。

つまり、単に「相手の気持ちを振り向かせたい」程度の思いであれば、そこまでの努力はできないものなのです。

(4)人に愛され、愛を学んできた

人を愛すことがすんなりできる人もいます。

そういう人は幼いころから、親や身近にいる人たちから愛情をたっぷり注がれて、愛を学んできた人が多いものです。

もちろんそういった環境でなかった人も、人を愛することができないわけではありませんが、人はやはり愛されることで、「純度の高い愛」というものを体験し、自分も愛せるようになりやすいものなんですよね。

これで恋愛上手。見返りを求めない人になるための方法

では、そんな見返りを求めないほどの純度の高い愛情を注げられる人になるためには、どうしたらいいのでしょうか?

大切な3つの方法を紹介します。

(1)「本当の愛」を学ぶ

まずは、「愛とは何なのか?」ということをきちんと学ぶことが大切です。

巷にあふれている恋愛テクニックなどは、正直言うと、愛とは程遠いものが多いです。

「自分が損をしないように、相手に愛を注がせるための方法」ばかりですしね。

愛というのは、幸せ物質です。

抱けば抱くほど、自分が幸せ感を得られるものなのです。

そして、自分が人を愛せば愛するほど、自分の内側から愛は増えていくものです。

だから、本来は、「自分のほうが彼を愛しているから、損している」なんて発想にはなりません。

相手の存在のおかげで、より自分の内側に愛(=幸せ物質)が増えているからです。

また、依存気質な人は、「相手を必要だ」という思いを、愛だと勘ちがいしてしまっていることも少なくありません。

あなたが必要でも、相手もあなたを必要としているとは限りません。

それでも依存気質の人は、相手を深く求めてしまいます。

つまり、「相手を必要とする思い」というのは、自己愛に近いものです。

相手にとって役立つかどうかは関係なく、自分に役立つからこそ、相手を求めているだけですしね。

本当の愛とは、「相手の幸せを願う」ことです。

さらにいえば、相手に、自分にとって不都合なところがあっても受け止めたいとすら思うものです。

「自分にとって都合がいいから、好き」というのは、愛でも何でもないのです。

「愛とは何なのか?」について深く学びたいときは、エーリッヒ・フロムの書籍『愛するということ』(紀伊國屋書店刊)を読んでみるといいでしょう。

難しい本ではありますが、愛の本質について詳しく解説されていますよ。

(2)自分を愛せるようになる

人を愛せるようになるためには、まずは自分のことをきちんと愛せるようになることが大切です。

生まれてからこれまで、完璧な人生を歩んでいる人なんてほぼ皆無なので、さまざまな失敗から劣等感を抱くような経験をしていることが多く、完全に自己肯定をできている人はそう多くはありません。

だから、自分を愛しきれていない人が多いのです。

自分を愛するとはどういうことか? というと、「“ありのままの自分”を受け止め、成長を願うこと」です。

それは、完璧ではない“今の自分”をそのまま受け止め、肯定し、成長していくことを応援できるようになることなのです。

また、人は自分にも嘘をついていることも多いものなので、自分の心の声をきちんと聞き、醜い思い、弱いところも受け止められるようになることが重要です。

それらの思いについては、肯定するというよりは、「まだ今の自分はそこまでの段階なのだ」ということを理解し、「少しずつ成長していこう」と思えるようになることが大切です。

逆に「こんな醜い自分はダメな人間だ」なんて責めたりしてはいけません。

完璧でなくてもいいんです。成長していこうという意志さえあれば。

そうやって、自分を受け止め、愛せるようになることで、人に対しても同じような愛情を注げるようになるものです。

(3)自己を犠牲にしないで、自分がやってあげたいことをする

私たちは聖人君主にはなかなかなれないので、無理をしてまで相手にやってあげたことに対しては、大概、見返りを求めてしまうものです。

だから、「無理をしすぎない」というのは、大切なことです。

「無償の愛」というと、「自己犠牲をしてまで、相手を幸せにしたいと願うことだ」なんて勘ちがいしがちですが、そこまでしないほうがお互いのためです。

本来は、「自己犠牲をしている」と感じている時点で、それは、愛ではないのです。

本当にそこに純度の高い愛があれば、「自己犠牲をしている」とすら思わないものだからです。

なぜなら、「相手の幸せが、自分の幸せ。相手の喜びが、自分の喜び」だからです。そこまで至っていないのであれば、無理することはありません。

私たちには肉体もあり、限度のある世界に生きています。

だからこそ、まずはきちんと自分を満たした上で(※ただし、満たされていると感じる度合いには個人差があります)、相手が喜ぶようなことをしたほうがお互いのためにいいのです。

「相手が犠牲になってでも、親切にされたい」なんて願う人は、稀です。

むしろ重荷に感じたり、自分のせいで相手を不幸にしてしまうことに対して罪悪感を抱いたりするものです。

それでは相手も居心地が悪くなるでしょう。

まず、幸せにしなくてはいけない存在は、「自分」です。

「相手の幸せが、自分の幸せ」にまで至っていない場合は、自分をきちんと大切にした上で、相手を幸せにしましょう。

「無償の愛」は、簡単ではない

見返りを求めない、無償の愛を抱くのは、簡単なことではありません。

だからこそ、それができるほどにまで成長したいと願うのは、「自分への本当の愛情」がないとできないことなのです。

無理しすぎないで、少しずつ本当の愛を抱けるようになろうと思うことが大切です。

自分を愛し、人も愛せる人になりたいものですね。

(ひかり)

※画像はイメージです

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