身体や性は、私たちにとって身近なものだ。毎月の生理が来るたび、そして食欲が増え、体重が増えるたびに、嫌でも考えざるを得ない。性も身体も、あまりにも身近で、だからこそ「仕方がない」と諦めることばかりだ。そして、なぜかいつだって人に言いづらい物事でもある。自分の中で消化するしかなくて「こんなことで悩むなんて、きっと自分くらいなのだろう」と自虐的に考えてしまう。
だけど本当はもっと、自分に正直に生きたい。性にも身体にも、自分の気持ちにも正直でありたい。それなのに、この思いを発散できる場所はなかなかない。結婚、恋愛、出産、仕事、あらゆるライフイベントの中で、自身の性や身体にモヤモヤしたことがある全ての女性に、この本をすすめたい。
【この本を読んで分かること】
・性や身体に関するもやもやは、誰にでもある
・日常すぎてないがしろにされてしまう「自分の性」
・自分も、自分を大切にしてあげられること
■「このもやもやを感じていたのは、私だけじゃないんだ」
『私の身体を生きる(文藝春秋)』は、文芸誌「文學界」で連載されていたエッセイ企画だ。女性として生きる17人の書き手たちが、自らの身体をめぐるそれぞれの切実な体験をつづっている。西加奈子や村田沙耶香、金原ひとみなど、著名な作家が多く参加しており、エッセイではありながらも、フィクションの小説を読んでいるかのような読みやすさがある。
しかしその内容は非常に個人的で、そしてリアルだ。まず「性について悩むことがあるのは、自分だけではなかったんだ」という、安心感を覚えた。今はインターネットやSNSでも、他人の性に関するエピソードを目にする機会が多いが、拡散される性の話はどこか過激すぎたりカジュアルすぎたりで、なかなか心から共感することもない。
その点、作家はすごい。彼女たちの体験したことやその時の思いが、手に取るように伝わってくる。人によっては話すこともはばかられるであろう、苦々しい体験もあけすけに語られている。なぜか分からないが、YouTubeなどで面白おかしく話されている性のエピソードを聞く時とは、受け取り方が全く違っていた。
あまりにも共感できる内容が多く、自分でも少しびっくりした。性に関することがどうしても「もやもや」になってしまうのは、生まれた瞬間から性別が決まっていて、性を受け入れざるを得なかったからだと思う。悩んだところで解決しようがないことも多いので、あえて口にしない。だけど、もやもやする。そう思っているのが自分だけではないことを知って、安心した。
17作ものエッセイが集録されているので、誰にとっても自分が体験したことがないエピソードも目にできるはずだ。90年代後半生まれから、70年代生まれの作家がおり、年齢層が幅広い。中には、自分がまだ到達していないライフステージに挑戦している人もいる。
例えば、藤野可織さんは妊娠と出産にまつわるエピソードをつづっている。今まさに「子どもを持つべきかどうか」悩んでいる人には共感性が高く、おすすめだ。
■赤裸々なエッセイを通して自分の身体と性とも向き合う
逆に自分よりもずっと深く、自身の身体について深く考えていることが伝わる話もあった。作家という、文章と向き合ってきた人たちが吐き出す言葉を摂取してみると、自分では辿り着かなかった意識の境地も垣間見ることができる。性って、自分の身体って、こんなにも奥深いのだなと思う。
一昔前と比べれば、性に関する個人的なエピソードを気軽に入手できる時代が来たのだと思うが、私たちの悩みは、実はもっと切実だったのではないか、とこの本を読んで思った。年齢とともにやってくる身体の変化や性欲について、痴漢やセクハラといった日常的な性被害。ネットではどうしても気軽に聞こえるように語られがちだが、そんなふうにカジュアルに消費できるほど、軽い悩みではない。
だけど、自分が女であることは変わらないし、悩んでも仕方ないから、笑い話にして消化していたり、悩みということにすらせず、時間で解決しようとしていたり。トークショーとしてではなく、テンション感の伝わらないエッセイ本として読んでみた時に、自分自身が「自分の性や身体」から目を逸らしていたのだということに気づく。
人によるかもしれないが、私自身は大人になってからの方が、性の話がしづらくなったように感じている。友人も自分も積極的に恋愛して、異性とトラブルになったり悩んだりすることが多かった20代前半は、自然と性にまつわるエピソードを周囲とシェアし合っていた。だけどアラサーになると、特定のパートナーと落ち着いた生活を送っている人も多く、すると自然と性が話題に上がらなくなってしまった。
日常的に話さなくなると、途端に性について話すことそのものが恥ずかしくなってしまったし、話す相手もいないので、深堀りして悩むこともなくなった。だけど本当は、悩むことを辞めて諦めていたのかもしれない。たくさんの女性の赤裸々な語りに触発されて、自分の気持ちに気がついた時には少し涙が出た。
■身体を自分のものにできるのは、自分だけ
本の帯に書いてあった「私の身体は私だけのもののはずなのに」という言葉の意味。最初はいまいちピンと来ていなかったが、読み終わってみるとなんとなく分かる。
私たちは気づかないうちに、自分の母親やパートナー、異性、自分の子どもなど、誰かのために身体を明け渡してしまっているのかもしれない。「女なんだから」とか「彼女なんだからこうしてよ」とか「結婚したんだからちゃんとしなくちゃ」とか、知らないうちに誰かの押しつけてくるイメージに合わせて、自分を変容させてしまうことがある。
柔軟性があるのはいいことだ。だけど、実は押し込められている自分がいるのなら、気づいてあげられるのも自分だけだ。少なくとも17人もの女性が、自分の性、そして身体と向き合い、許容しようとしている。それだけでも背中を押されるし、まずは「自分も、自分のことをもっと考えてみたい」と思わせられる。
読了後、私は仲のいい友人にもこの本をすすめてみた。するとその子も「わかりみが強すぎて泣いた」と言っていて、どのエピソードに特に共感したかを語り合っていたら、夜中になった。
まだ性についての話しづらさは消えないが、親しい人に自分の悩みを吐き出すきっかけになった。他人とシェアしなくても、きっといい。自分の性と身体が抱えるそれぞれのもやもやには、それぞれの解消方法があることも、この本が教えてくれるはずだ。
(ミクニシオリ)