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専門家 生活

「切れ長」から「デカ目」へ。ここ100年で大きく変わった「アイメイクの日本史」

堀江 宏樹

女性みなさまごきげんよう、歴史エッセイストの堀江宏樹です。今回はアイメイクについてお話をしようと思います。毎日のメイクで一番どこを気をつけているかという質問に、「肌の下地」などと、しれっと答えられるのはモデルだけかもしれません。多くのみなさんがもっとも手間暇かけて悪戦苦闘するのは、アイメイクだと思います。

現代の日本人女性のメイクの好みには、明らかな傾向がありますよね。目を大きく、パッチリと見せたい人が多いはずです。いわゆる「眼ヂカラに満ちた瞳」こそが理想とされている昨今ですが、そんな瞳の持ち主は、ここ100年ほど前までは「男顔」の象徴として、残念がられていました。

「目鼻立ちがクッキリしている顔」が平安時代中期以降、日本人の考える美人の条件のひとつだったということは以前もお話しました。けっきょく、そのルールに現代日本人も縛られているのですが、昔の日本人が理想とした女性の美しい瞳のイメージは、大きくともあくまで「切れ長」の瞳なんです。切れ長の瞳こそが、平安時代から江戸時代まで、受け継がれた日本のモテ女の条件でございました。

われわれがイメージする「平安美人」の顔、とくに「細い目」は、平安時代でも美しいとは思われていなかったようだという話を覚えておられるでしょうか。しかし、そもそも『源氏物語絵巻』などに描かれた、われわれがイメージする「平安美人」の眼も、線のように細いが、けっして小さくはないんです。

あの眼が大きく見開かれたら、相当なデカ目じゃないでしょうか。レディー・ガガの『Bad Romance』のPVみたいになってるんじゃないでしょうか(懐かしいネタで恐縮です)。考えるだけも怖いけど。絵巻物は現実の美女を写したものとはいえない……というような話も以前しましたが、切れ長の、しかし小さくはない瞳こそが、美しい女性の条件だったということだけは、間違いないと筆者には思われます。

この切れ長の瞳こそが美しいとする感覚は、その後、ずっと引き継がれました。江戸時代後期に発売されてから、大ヒットしたメイクマニュアル『都風俗化粧伝(みやこふうぞくけわいでん)』という書物があります。ここでも切れ長の瞳が美人にはマストな条件とされているのです!

余談ですが、現在ではたかだか数年前のメイクマニュアルでも「時代」を感じさせるほど、メイクの流行はめまぐるしく変わりますよね。しかしこの『都風俗化粧伝』、なんと発売から約百年後の大正時代ごろまで、現役のマニュアルだったというのだから仰天するしかないです!

さらに、美容整形なんてものがありえなかったこの時代、眼ヂカラありすぎる瞳に生まれてしまった「悲劇」の女性たちへのアドバイスは次の通り。「わざと伏し目がちに振るまえ」……などは卑屈な気分になるだけで済みますが、なんと眼の粘膜の中にまで、墨で描き込んで(アイライナーの原始的なものですね)、少しでも切れ長の瞳に見えるように演出しろ」とか、文字通り涙ぐましい努力が求められていたのがわかるのです。つまり、今とはまったく逆の方向で、アイライナーが使われていたことにもなりますね……。

またアイメイクの時、目元を豪華に見せるのに欠かせないのは睫毛の演出です。ところが、江戸時代にはマスカラに変わる睫毛用のメイク道具は乏しく、ワラの尖端に煤を付けて、睫毛に塗ってみるくらいの努力しかできませんでした。

今日のような「眼ヂカラ」を強調するデカ目礼賛は、本当にここ数十年ほどのトレンドにすぎないんですね。歴史は必ず、繰り返します。ですから、「デカ目」とは正反対の「切れ長」の瞳の復権も今後、アリかもしれません。しかし……ぬか喜びは禁物です。小さい目、細い目の持ち主は大勢いても、本当に美しい切れ長の瞳の持ち主は少ないのですからね。

(堀江宏樹)

※写真と本文は関係ありません

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