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「実は違ったかも……」といわれている日本の歴史の出来事5つ「聖徳太子はいなかったかも」「士農工商はなかった」

長く史実だとされていたことも、研究が進むにつれて「やっぱり違うかも……」となる場合があります。今回は、そうした「もしかしたら違ったかも」といわれている日本の歴史の出来事を紹介しましょう。

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教科書も内容が変わっている?

●聖徳太子は……いなかった?
「冠位十二階」などの制定や「複数の人の話を理解できた」という逸話などで知られる聖徳太子。しかし、「十七条憲法」や「冠位十二階」などを行ったのは厩戸王で、「聖徳太子=厩戸王」ではないという説があります。

さらには「実在しなかったかも?」というそもそもの話も出ています。そのため、今の歴史の教科書では厩戸王(聖徳太子)という表記になっています。またお札にも使われた有名な肖像画も別人だったといわれており、こちらも「聖徳太子像と伝えられる」というあいまいな表記になっていたりするのです。

●いいはこつくる鎌倉幕府……?
鎌倉幕府の成立年度を聞かれたら、皆さんの多くは「1192年」だと答えるでしょう。実際そう習いましたよね。しかし、最近では1192年ではなく「1185年」という説が有力になっています。鎌倉幕府は段階的に成立したもので、いつを成立年にするのかの議論が続き、1185年に落ち着いたのだとか。

教科書にもすでに1185年と記載されているものもあるそうです。「いい国(1192)つくろう鎌倉幕府」ではなく「いいはこ(1185)つくろう」ということですね。

●長篠の戦いで「三段撃ち」は使われていない?
織田信長が武田勝頼を破った「長篠の戦い」。この戦いでは当時最新鋭の武器だった「鉄砲」が3000丁投入され、交代しながら鉄砲を撃った「三段撃ち」という戦法が使われた……というのが通説。しかし近年では「三段撃ちなんて使われなかった」という話が出ています。

当時の鉄砲は一定の間隔で撃つことができないもので、三段撃ちなど難しくてできないという考察があるのです。また3000本というのも怪しいのだそうです。

●士農工商……はナシ?
江戸時代の身分制度を意味するものとして、習った人も多いであろう「士農工商」。「武士が一番偉く、次が農民……」といった身分の序列として、今でも覚えている人が多いでしょう。しかしこの士農工商の序列認識、今では「誤ったものだった」ということになっているのです。

そのため、最近の教科書にはもう掲載されていないのだそうです。

●慶安御触書
『慶安御触書』(けいあんおふれがき)は、農民統制のために江戸幕府が発布したという文書。「幕府の法令を怠らないように」「早起きしてちゃんと働くように」「たばこは体に悪いから吸っちゃ駄目」といった内容のものです。

教科書にも記載されていましたね。しかし、これも「徳川幕府が出したものではないのかも?」ということが考えられています。甲斐国(現在の山梨県)の一部地域で発布されていたものが幕法として伝承した説、そもそもニセモノなど、さまざまな説が挙げられています。

このため記載されていない歴史の教科書も多いのだとか……。

読者の皆さんの中には、「学生のころに習った内容と違う!」という人もいるでしょう。特に鎌倉幕府の成立年が違うなんてのは衝撃です。他にも、これからもっと歴史研究が進めば、さらに二転三転する出来事があるかもしれませんね……。

(中田ボンベ@dcp)

※この記事は2014年12月29日に公開されたものです

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