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雑学 生活

葛飾北斎は、元祖「ゴミ屋敷」のひとだって本当?

江戸時代に活躍し、海外にも影響を与えた希代の浮世絵師・葛飾北斎(かつしか ほくさい)。「富嶽(ふがく)三十六景」などでの色使いは衝撃を与え、青という色に関しては「革命」とも称された。葛飾派の祖となり、のちにゴッホなど西欧の印象派画壇の芸術家をはじめ、工芸家や音楽家にも影響を与えた世界的な画家である。

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多くの芸術家がそうであるように彼も相当な変人で、ペンネームの改号は約30回、引っ越しは90回以上。基本は貧乏でその日暮らし。酒も煙草もギャンブルもやらず、ただただ絵を描くことに執心していた。そのうえ北斎顔負けの超変わり者の家族2人が一緒に生活をしており、その生活は問題が山積みであった。

1人はグレた孫、もう1人は掃除のできない娘。異常な引っ越し回数は、家族も原因だったのだ。

■自由に生きた人生!

葛飾北斎は江戸時代にしては大柄で、90歳まで生きたという。その生涯はナゾに満ちており、出生についても庶民なのか武士なのかはっきりとせず、もちろん両親の名前もわからない。性格は、短気でケンカっ早く、強情で尊大で自由。

14歳で版木彫りの仕事につくと、いつしか自分でも描いてみたいと思うようになり、19歳で人気浮世絵師の勝川春章(かつかわ しゅんしょう)に入門。「春」の一字をもらい「勝川春朗(しゅんろう)」のペンネームで役者絵を発表する。

しかし35歳で師匠が亡くなると、興味の向くまま狩野派など別派を学んだため、兄弟子たちから破門される。そして勝川春朗の名を捨てた北斎は、その後もころころとペンネームを変更するのだ。

そもそも「北斎」というペンネームも世の中をコバカにしたもので、「アホくさい」「ヤボくさい」などのダジャレがモチーフになっている。しかも、しばらくその名前を使うと、売れていない弟子に与えてしまうのだ。ちなみに「北斎」のペンネームを名乗った者は3人もおり、後世に大混乱を与えた。

超天才画家であると同時に、超迷惑な歴史上の偉人なのである。30回の改号のうち、2度も使った不染居(ふせんきょ)というペンネームがあらわすように、場に染まらず、つねに変化し続けることを望んだ結果とも言えるだろう。

■弱点は家族だった!?

北斎は私生活もナゾが多い。結婚は2回しており、前妻との間に3人の子をもうけ、さらに後妻とは次男・三女に恵まれる。子どもたちは嫁にいったり早くに亡くなってしまったりといろいろあったが、最終的に長女の子つまり北斎の孫と、離婚して出戻りになった三女のお栄とともに暮らすことになる。

90回を超える引っ越しは、北斎の趣味だけではなかった。75歳のときにいきなり三浦半島に隠居したのも、孫がバクチにハマり、借金取りに追われ、裁判に負けた結果で、北斎一家は江戸を去らざるを得なかったのだ。

三女・お栄も強烈なキャラで、絵に関しては言うことなしの天才であったが、とにかく掃除が大嫌い。そもそも家事が大嫌い。ゴミ屋敷になったら引っ越せばいいじゃない、という断捨離(だんしゃり)精神のもと、汚れるたびに引っ越しを繰り返していた。

もう移転というより流転である。

ちなみにこの三女には、晩年寝たきりになった北斎の代筆疑惑がある。老人らしからぬカラフルな色使いや、体力的に衰えているはずなのに緻密な大作などが多いのも、お栄の代筆が混ざっていたためだと考えると納得がいくのだ。

■まとめ

・葛飾北斎は、ペンネームを30回も変えている

・使わなくなったペンネームを弟子に与えたため、後世に大混乱が生じた

・90回を超える引っ越しの背景には、ものぐさ娘とグレた孫が存在する

制作に集中するあまり「ゴミ屋敷」化し、イヤになって引っ越しした説が強いが、孫と三女も原因だった。ただ、死の間際まで家族が一緒に暮らしていたことは北斎にとって心強かったのではないだろうか。

当時禁止されていたキリスト教の「天使」を描いたり、水平線を丸く描くなど、至るところで天才ぶりを発揮した北斎だが、家族には勝てなかったようだ。

(沼田 有希/ガリレオワークス)

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