江戸時代の鎖国の目的は人身売買禁止だって本当?
四方を海に囲まれた日本。地形に加えて約200年も鎖国していた影響で、江戸末期にはさまざまな事件が起きたのは皆さんご存じだろう。
鎖国は江戸時代のできごととして知られているが、その原型を作ったのはなんと豊臣秀吉だった。キリスト教を制限する以外に、人身売買を禁止する目的もあったのだ。
鎖国しても、貿易はOK?
日本の鎖国は、1639年のポルトガル船来航禁止から、1854年の日米和親条約までの約200年とするのが一般的だ。ところが、その50年ほど前に、鎖国の原型となる法律が存在する。豊臣秀吉による「伴天連(バテレン)追放令」だ。
バテレン追放令の内容を現代風にまとめると、
・日本は神道と仏教の国だから、他国の宗教を広めてはいけない
・日本人の信者をつくり、寺社仏閣を破壊していると聞くが、とんでもない話だ
・これらをおこなっている司祭は、20日以内に帰国せよ
・従わなければ処罰する
と、キツい内容だが、
・貿易はまったく問題ない
・布教活動しないなら、どの国のひとが入国しても構わない
の記載もあり、外国との交流を断とうとしているわけではなく、キリスト教を広めないのが目的なのは一目瞭然だ。しかし、残念なことにバテレン追放令は効果を発揮せず、1637年には島原の乱が起きた。幕府はこれをキリスト教徒の反乱、原因はポルトガル人と解釈してポルトガル船の来航を禁止し、いわゆる鎖国に突入したのだ。
鎖国と言われるものの、その後も外国との交流はなくならない。オランダとは貿易が続いていたのだ。
理由は明白で、ポルトガルやスペインは布教に熱心だったが、オランダはあまり関心がなかったため、幕府の怒りを買わずに済んだからだ。豊臣秀吉によるバテレン追放令は、江戸時代にやっと実現したとも表現できるのだ。
人身売買禁止令!
バテレン追放令には、秀吉のもう一つの思惑が隠されている。当時横行していた人身売買の禁止だ。バテレン追放令にはキリスト教と貿易に関する内容しかないが、ほぼ同時期に定められた「キリシタン禁令」には、人身売買を禁止すると明確に記されている。
これも現代風にまとめると、
・キリスト教を信仰したければ、しても良い
・だが、信者になることを強要してはいけない
・領主がキリスト教徒になる場合は、幕府の許可が必要
と、大筋は同じくキリスト教がらみだが、
・人身売買は禁止しているので、日本人を外国に売り渡したら処罰する
の強烈な一文が含まれている。これが証拠だ。
さらには、秀吉が人身売買についてイエズス会副管区長ガスパル・コエリュに問いただしたところ、「売り手がいるから買うだけだ」「司祭たちは阻止しようとしたが、できなかった」と回答したという。使者を介して口頭で伝えられただけなので有力な証拠とは言い難いものの、コエリュはその事実を認めていることになる。
スゴいぞ秀吉! サルと呼んで悪かった!
まとめ
・江戸時代以前に、鎖国が始まっていた
・鎖国の原型は、豊臣秀吉の出したバテレン追放令とキリシタン禁令
・キリスト教布教はダメだが、貿易はしても良い
・貿易はOKだが、人身売買は禁止
歴史の授業とはかけ離れた、かなりエグい内容だが、豊臣秀吉は、日本を守ったスーパーヒーローと呼ぶべきだろう。
(関口 寿/ガリレオワークス)
※この記事は2014年03月29日に公開されたものです