80年代の漫画シーンは大友克洋だった
大友克洋は漫画界に大きな足跡を残した偉大なクリエイターです。最近では新作漫画を発表することがないため、その名前はアニメの方面で聞くばかりですが、それでも大友克洋の業績は圧倒的です。
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80年代の漫画シーンに最も大きなインパクトを与えたのは大友克洋ではないでしょうか。大友克洋の、乾いたタッチ、白い画面、クールな視線、描法などは多くのフォロワーにまねされました。
描法の部分だけ取り上げても、小さなディテールに至るまで大友克洋の影響は大です。
●キャラクターの頭髪に入るハイライト
●スーツのしわの表現
●コンクリート壁の描き方
●俯瞰を多用する構図
●スクリーントーンワーク
などなど挙げればキリがありません。天才・大友克洋が「こう描くといいよ」と示してくれたお手本がふに落ちた漫画家さんも多かったことでしょう。
大友克洋の作品発表は1973年(昭和48年)から始まっています。『週刊漫画アクション』を主な作品発表の場としていたのですが、1976年(昭和51年)発表の『ハイウェイスター』、1977年(昭和52年)発表の『さよならにっぽん』あたりから、評価ががぜん高まります。
1979年(昭和54年)には後年の『AKIRA』のスケッチのような『Fire-ball』が発表され、漫画読みの間で大きな注目を集めます。
そして1980年(昭和55年)には『童夢』の「Part1」を発表。同年には、ハードボイルド作家・矢作俊彦とタッグを組んだ『気分はもう戦争』の連載がスタートします。
このころには、大友克洋の名前は「天才」として広く認知されていました。もう一人の天才・鳥山明は、『週刊少年ジャンプ』で『Dr.スランプ』を1980年に連載を開始しています。80年代は漫画の黄金期だったのかもしれません。
1982年(昭和57年)には『週刊ヤングマガジン』誌上でついに『AKIRA』の連載がスタートします。AKIRAは1990年まで連載され、アニメにもなり(1988年)世界中に大きな衝撃を与えました。
1990年にAKIRAの連載が終わったというのは何かの暗号のようにも思えます。80年代に漫画界に巨大な足跡を残した大友克洋は、今も多くのクリエイターに影響を与え続けているのです。
天才・大友克洋は残念なことに、漫画界からアニメ界に活動の場を移しています。先日7月20日にはアニメ作品『SHORT PEACE』が封切られました。しかし、大友克洋の手になる漫画の最新作を読みたいと、心待ちにしているファンも多いのはないでしょうか。
(高橋モータース@dcp)
※この記事は2013年08月09日に公開されたものです