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【街の色、街の音】第3話:成長日和

 友人宅を出ると、さっきまでグズっていたのが嘘のように、海斗は上機嫌になり、ママいくよ、と前を歩いている。とはいえ、どこかあぶなっかしい足つきだ。

 浜田山はめったに来ない場所だけど、少し歩いただけでも、住みやすいよー、と言っていた友人の言葉が本当だとわかる。お店も建ち並んでいるし、そこかしこに公園もあり、緑も多い。落ち着いた暮らしができるだろう。

 

 今の部屋は夫と二人で決めたのだけど、そのときはまだ、海斗はこの世にいなかった。こんなにも大きくなった姿を見ていると、かつてこの子が、自分のお腹の中で育ち、さらにその前には存在もしていなかったのだという事実が、不思議なものに思えてくる。このあいだ一歳半になった海斗は、自分とはまるで違う速度で成長している。目に見える部分でも、おそらく目に見えない部分でも。

 子どもを産んでからの大きな変化の一つとして、荷物が増えた。オムツ、タオル、汚れてしまったときの着替え、なだめるためのおもちゃ、おやつ。トートバッグは肩にずしりとのしかかる。

 海斗と手をつなごうとしたが、いいの、といやがられてしまったので、なるべく近くを歩く。

 引っ越したいなあ、と最近考えていることを、また思う。今はまだいいけど、数年後には、独立した子ども部屋が必要になる。

 

 駅はあっというまに見えてくる。

「ほら、こっち」

 手をひいて、改札をくぐる。海斗は一瞬いやがる様子を見せたが、電車乗るよ、という言葉に、でんしゃ、と繰り返して上機嫌になる。電車が好きなのだ。

 ホームへ向かう。井の頭線はどの駅もエレベーターがあり、ベビーカーに乗せているときも、乗せていないときも移動が楽だ。どちらにしても子どもを産むまでは気にしていなかったことだ。

 ホームで各駅停車を待つ。明大前で乗り換えて帰る。家を出る前に夕食の支度を済ませておいてよかったなと思う。

 向こう側のホームに、スーツ姿の女の人がいて、自分と同年代くらいに見える彼女に、さゆりのことを思い出す。同僚だったさゆりからは、先月、彼女が片想いの相手である嶋本さんとお茶をしたというはしゃいだ内容のメールをもらった。その後進展があれば連絡してほしいと言っているけれど、特に連絡は来ていない。

 少しずつ海斗も外出に慣れてきているし、久しぶりにさゆりに会いたいなと思う。会いたくて会えていない友人たちが多い。今日のように、専業主婦の友人であれば、こうして平日の日中にも会えるのだが、なかなかそうもいかない。

 

「あお! でんしゃ!」

「これには乗らないよ」

 目の前を青い急行電車が過ぎていく。色をやけに気にする海斗の影響で、今まではちっとも考えずにいた電車の色を、わたしも意識するようになった。カラフルな井の頭線は、海斗の好みに合っているらしい。エレベーターについてもそうだけど、世界の見え方が、少しだけ変わった気がする。

つないでいないほうの手で、目にかかっている前髪を流した。髪がだいぶ伸びてしまっている。

 日曜は夫が休みなので、一人で美容室に行くことになっている。担当美容師の藤野さんは、年齢も近く、話しやすい女性なので、会えるのが楽しみだ。でも出かけるたびに、海斗の様子が気になってしまうのも事実だ。たまには一人になりたいと思う一方で、一人になるのが不安でもある。きっとこの気持ちも、日に日に変わっていくのだろう。海斗が日に日に変わっていくように。

「でんしゃ」

「もう少しだよ」

 答えながら、つないでいる手にほんの少しだけ力をこめた。子どもの手はいつもあたたかい。熱いくらいだ。各駅停車の緑の電車がやってくる方向に視線をやる。今日夫が帰宅したら、浜田山に引っ越すのはどうかな、と提案してみるつもりだ。

この物語で登場した京王井の頭線沿線マップ

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著者/加藤千恵

北海道旭川市出身の歌人・小説家。立教大学文学部日本文学科卒業。2001年、短歌集『ハッピーアイスクリーム』で高校生歌人として脚光を浴びる。短歌・小説・詩・エッセイなど幅広く活動中。

提供:京王電鉄株式会社