お使いのOS・ブラウザでは、本サイトを適切に閲覧できない可能性があります。最新のブラウザをご利用ください。

菊地凛子のマインドを支える「香りを下着にもワンプッシュ」。トリンプ「天使のブラ®」新アンバサダー発表会

#トレンドニュース

マイナビウーマン編集部

「天使のブラ®」と菊地凛子、それぞれの歩みを振り返る

次に、「天使のブラ®」の歩みと菊地さんの芸能キャリアをそれぞれ振り返るコーナーに。「天使のブラ®」の歴史と菊地さんの芸能キャリアの一部がまとまったヒストリーパネルが登場しました。

「天使のブラ®」がデビューしたのは1994年。会場には特別に初代の製品が並べられました。

30年前の製品を見て菊地さんは「30年経ったのか……という感じですが、全然今でも着用していただけるんじゃないかといったデザインですね。当時、白やベージュが多いときにこういったかわいらしいブルーというのが非常に印象的ですね」と驚きのコメント。

「天使のブラ®」が5周年となる1999年に菊地さんは『生きたい』で映画デビュー。初めてオーディションを受けた作品で、なぜ自分が選ばれたのか監督に聞いてみたところ、「笑顔が一度も出なかった(から)」と答えられたそう。

「自分はとても緊張しいなので、どういう風にオーディションに挑んでいいのかわからなかったのですけど、監督自身はそういったところが良かったとおっしゃっていて。自分ではネガティブに思うことも、人の目線を通すとポジティブになる瞬間もあるんだなということを学びました」と当時を振り返りました。

2000年代は「天使のブラ®」にとっても、菊地凛子さんにとっても飛躍の時期でした。「天使のブラ®」は不快感を軽減したり、谷間・脇のシルエットにこだわるなど、女性たちの嗜好の多様化に合わせてさらなる進化を遂げていきます。

当時の製品をパネルで見た菊地さんは「当時のブラって、運動するとワイヤーが脇に当たって不快感があったイメージなんですけど、この時の『天使のブラ®』はワイヤーを外側に向けたことによって体に当たらないようになったということを伺って。そんな工夫があったんだと思いました。谷間とかシルエットとかって大事なことかと思うので、それをサポートしてくれる『天使のブラ®』はすてきだなと思います」とコメントしました。

同時期の菊地さんは2006年に映画『バベル』が公開。アカデミー助演女優賞を含む多数の映画賞にノミネートされました。

当時は「目の前のことをこなすことで頭が一杯でした。無我夢中に走り抜けた、走り切った時期」だったそう。しかし「それがあったことですごく今までの道ができたなと今でも思っていますし、(『バベル』は)すごくたくさんの作品に出るチャンスをいただけた作品だと、今でも宝物の作品です」と懐かしみました。

2010年代は双方にとって転換期を迎えます。「天使のブラ®」は「なりたいをかなえるブラ」へと進化。夏のムレや年齢によるバストシルエットの変化など、悩みを解決する製品を多数展開しました。

菊地凛子さんの2010年代は、結婚・出産を迎えましたが……「日々のことが自分の仕事の先につながっているんだなということを心底思えた時期でした。日々を宝物のように過ごそうと感じた時期でもあります」と振り返ります。

出産を経験し、体型やライフスタイルの変化からブラジャー選びにも変化があったそうで、「今回、撮影でプロの方にフィッティングしていただいたり、サイズ感を見ていただいたりして、初めて自分のサイズって本当はこれだったんだと気づいた瞬間がありました。お店に行ってプロの方に見ていただいたり、改めて自分の下着と向き合うってすごくいい時間だなと思いました。皆さんにもお店に行って相談していただけたら」とコメントしました。

2020年代に入ると「天使のブラ®」は「スリムライン」と「魔法のハリ感」を主軸に展開。菊地さんは「身に着けただけで姿勢が良くなったり、前向きになれる。下着だけで変わるんだというのが、今回のコンセプトにあるように、『自分を支える』『私を支える味方』ということがこの時からぐっとメッセージとして迫ってくる」と感じたそう。

この時期の菊地さんは2022年に大河ドラマ『鎌倉殿の13人』、2023年には映画『658km、陽子の旅』に出演するなど、俳優としてさらに勢いを増しています。

「作品をたくさんやりたい、いろんな役をやってみたい、挑戦したいとすごく前向きになった時期です。ラッキーなことにたくさんの方に声をかけていただいて作品に恵まれました。声をかけてくださった方たちの期待に応えたいという風に思って、なおかつ自分もとにかく前向きに、ひとつひとつ丁寧にやっていきたいと思っておりました」とここ数年を振り返り、「これからもこの道を辿っていきたい」と決意を表明しました。

次のページを読む

SHARE