日本標準時は、なぜ明石市?
地球の自転とともに変わる時刻。兵庫県・明石市が日本の標準時なのはご存じだろうが、意外なことに明石市が自ら標識を立てたのがきっかけで、国が定めたわけではなかった。
東経135度が通るまちは他にもあり、日本のへそとして知られる西脇市は、明石市よりも7年前から標識が存在したが、「標準時のまち」と名乗り出なかったので明石市に先を越されてしまったのだ。
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決め手は「15の倍数」
地球の大きさを始めて測定したのはギリシャのエラトステネスと言われ、離れた場所で同じ時刻におきる太陽光の角度差から割り出された。このときはエジプトのシエネとアレクサンドリアの井戸が使われ、
・2つの井戸の距離 … 約920km
・光の角度差 … 約7.2度
から、地球は全周約4万6千kmと計算された。現在は高精度な測定がおこなえ、約4万kmであることがわかっている。15%の誤差は小さいとは呼べないが、紀元前200年前に地球が球であること、距離と角度から全周が割り出せることを知っていたのは驚愕に値する。
この発想は世界の時刻にも応用され、イギリスのグリニッジ天文台を基点に、自転方向を360度に分割した経度(けいど)をもとに決められている。
日本の標準時が兵庫県・明石市に定められているのはなぜか? 最大の理由は15の倍数である東経135度上に位置するからだ。
経度は、
・地球一周を360度に分割
・一周=一日
なので、360度÷24時間から15度=1時間となり計算しやすい。ところが日本は、
・東 … 南鳥島(153度58分)
・西 … 与那国島(123度0分)
の範囲にあるので、15の倍数は135度か150度しかない。南鳥島には定住者はなく、その近くを「標準時」と定めてもピンとこない。ひとの住んでいる都市のほうがイメージしやすいことから東経135度が選ばれたのはごく自然と言えよう。
早い者勝ちで決まった「日本の標準」
明石市が日本標準時となったのはなぜか? 東経135度上には
・京都府・京丹後市
・兵庫県・淡路市
・和歌山県・和歌山市
などが存在するが、明石市が真っ先に標識を立てたため、「早い者勝ち」的に認知されるようになったのだ。
世界の時刻を決めた国際子午線(しごせん)会議は1884年におこなわれ、その2年後に日本標準時は「東経135度」と定められた。この時点ではどの「都市」かは定められてはいなかったため、明石市では1930年に小学校の先生たちがお金を出し合って東経135度上に標識を立てた。
つまりは国が定めたわけでもなければ、ほかの都市と話し合ったようすもなく、既成事実として「日本標準時のまち」になったのだ。その後の1960年には135度上に天文科学館を設立し、不動の地位を得ている。
残念なのは同じ兵庫県にある西脇市で、東経は同じく135度なのに加え、北緯35度と、どちらもキリの良い座標に位置している。しかも明石市が標識を立てるよりも前から「交差点標柱」が存在しているのだ。
交差点標柱は1923年に陸軍が立てたもので、1978年に建設省(現在の国土交通省)が再計測をおこなったところ正確な座標だと証明された。東経/北緯ともにほぼ中央に位置することから「日本のへそ」のまちとして展開している。
標柱が立てられた時点で「これが日本の標準!」と声を上げていれば、西脇市が標準時のまちになっていたのかもしれない。逆に、材料のない状態から「標準時のまち」となった明石市の先見の明と行動力を称えるべきかもしれない。
まとめ
・世界の時刻が決められたのは1884年
・東経135度が日本の標準時になったのは1886年
・1930年に標識を立てたのは、明石市の先生たち
・「日本のへそ」西脇市には、1923年から「交差点標柱」が存在していた
(関口 寿/ガリレオワークス)
※この記事は2014年11月02日に公開されたものです