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失恋したことを納得する心理「合理化」とは?

大好きだった人にふられてしまう…人生において、これほどつらいこともありませんよね。だから私たちは、無意識に失恋について前向きにとらえ、そのつらさから逃げようとするのです。

【失敗した時の気持ちの切り替え方「負け惜しみの言葉を吐く」「すっぱいブドウと思う」】

負け惜しみ

失恋してしまったときに、本当は泣きたいぐらいショックなのにわざと強がって「別に私もそこまで好きなわけじゃなかったし」などと負け惜しみを言ってしまったことはありませんか?これを心理学では「合理化」と呼びます。

本当の自分の気持ちのままでいることに耐えられないので、本当は彼のことが好きで好きでたまらないのに、無理やり事実をねじ曲げて「だから私は彼と付き合うことにはならなかったのだ」と自分を納得させようとするのです。

すっぱいブドウ

イソップ童話に出てくる有名なお話に「すっぱいブドウ」というものがあります。農家の人が大切に育てた素晴らしくおいしいブドウを、なんとかして食べてみたいと思っていたキツネがいましたが、どうしてもブドウに手が届かないので「ふん。どうせ、あんなブドウはすっぱくてとても食べられたものじゃないよ」と悪態をつくのです。

これはまさしく合理化ですね。ブドウを取ることができなかった自分をそのまま認めてしまうとみじめで耐えられないので、ブドウ自体に欲しがる価値がなかったんだという理由付けをして心の安定を保とうとしたのです。

合理化はしょせん一時的なものでしかない

合理化は、一時的につらい現実から目を背けるためには非常に有効な方法ですが、やはりどこまでいっても現実逃避でしかありません。自分が大切な恋をなくしてしまったという事実は、どんなに耳をふさごうとしても変わらないのです。

だから、こうやって逃げているうちは永遠にそのままです。どこかで勇気を出して現実に立ち向かわなくては前には進めません。また、よく人前で「自分は別にそこまで真剣じゃなかったんだ。だからもうやめておくことにした」などと強がりを言ってみせる人がいますが、こんなことをしてしまったら周りからの評価は一気に下がってしまいます。

明らかに強がりを言っているというのがバレバレな上、「しょせん、その程度の奴」という目で見られるようになってしまうので気をつけましょう。

※この記事は2013年10月14日に公開されたものです

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