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失礼な言葉? 「お里が知れる」の意味とは

浅田悠介(浅田さん@令和の魔法使い)

「お里が知れる」という言葉の意味を知っていますか? どうも嫌みで使う言葉のようです。また、差別的で失礼な言葉でもあるよう。コラムニストの浅田悠介さんに詳しく解説してもらいました。

「そんなんじゃお里が知れるわ」。

こんな言葉を言われたことはありませんか。一瞬「ん?」ってなりますよね。良い意味なのか、悪い意味なのかも分かりません。

今回のテーマは「お里が知れる」です。

この言葉の意味を学んでみましょう。これって、けなされてるんでしょうか。何なんでしょう。

今日こそ、ハッキリさせにいきましょうぜ。

お里が知れるとは

さっそく「お里が知れる」の意味に迫ってみましょう。これは、どういう意味の言葉なのでしょう?

お里が知れるの意味とは

ざっくり言えば「生まれや育ちの程度が知れるわ」という意味になります。正直、ネガティブなニュアンスで使われることが多いです。

「お里」とは「お嫁さんの実家」のことなのですね。

そして嫁ぎ先での言動や作法がなっていないと「実家の教育レベルがこんなものかと推測されますね」と姑などに言われたわけです。要は嫌みなのですよ。

お里が知れるを言い換えると?

最も近い類語には「どんな教育を受けたのか知りたい」「親の顔が見てみたい」などが当てはまるでしょう。

他に「生まれ育ちが気になる」「出自が分かる」などにも言い換えられるでしょう。

いずれも、対象者のバックボーンを非難する意味合いになります。

「お里が知れる」と言われる瞬間

次は「お里が知れる」と言われる瞬間について考えてみましょう。

いったい、どんな時に言われるのでしょう。具体例を挙げるので、ぜひ参考にしてくださいませ。

(1)行儀が悪い時

シンプルに「行儀が悪い時」に言われてしまいがちです。

例えば、フォーマルな場でぺちゃくちゃしゃべっていたり、貧乏揺すりをしたり、バイキングでコーンばかり山盛りにして食べていたり、机の上にスープをこぼしたり──といった具合です。

言い換えると「マナー違反が目立った時」ともいえるでしょう。

私たちは大人になると「その場に合わせた振る舞い」を求められるようになります。全員がマナーを守ることで社会や集団はできているからです。

ゆえに、それを破る者を「社会的に成熟していない人間だ(そのような教育を家で受けなかったのか?)」と非難するのですね。

もちろん本当に教えられてこなかった場合もあるでしょう──ある意味悪くないですよね。反対に、ルールを知っているのに破っている場合もあるはずです。

しかし第三者からすると、いずれも社会的な義務を果たしていない、とカウントされてしまうのですね。この国では「集団の倫理を守ること」が最重要だからです。

(2)素直ではなかった時

この「素直でなかった時」というパターンもありえます。

例えば、注意されたのに謝らずに、言い訳したり、逆ギレしたり、認めなかった時です。他人を褒めなかったり、お礼を言えなかったり、いじわるだった時にも当てはまるかもしれませんね。

言い換えると「性根の悪さを感じた時」ともいえます。

性根とは、生まれついた(あるいは育ちで身に付いた)性格のことです。こればかりは「生まれ育った環境で教育されるものだ」と、考えられがちです。

だからこそ、いい歳になって、ちょいと性格の悪さを感じた時には「どんなしつけや教育を受けてきたの?」ということになるわけです。

生まれや育ちに理由があるに違いない──と非難しているわけですね。

(3)言葉遣いが悪い時

他にも「言葉遣いが悪い」という原因もあり得ます。

行動や、性根ではなく、シンプルに言葉遣いが汚かったのかもしれません。

その場にふさわしい言葉のマナーというものがあります。それは、お箸の持ち方といったマナーと同じように、生まれ育った家で身に付けるものとされます。

それがおぼつかないようだと「お里が知れるわ」ということになるのですね。

(4)エゴを見せた時

ちょっと抽象的ですが、これもお伝えさせてください。

それは「エゴを見せた時」というものです。

欲望や自分勝手さと言い換えてもいいでしょう。自分だけの利益に走るような言動が見えた時という感じですね。

もちろん、自分がかわいいのは分かります。しかし全員が「自分第一!」と叫び始めたら社会は成り立ちません。だからこそ「あまり自分勝手なことを言うのはやめて譲り合おうね」と、ルールやマナーができたわけです。

ゆえに他人がエゴをむき出しにするのを、社会は嫌います。集団生活を脅かされる感じがするから。自分の取り分がなくなる感じがするから。

だからこそ「お里が知れるわ(ちゃんと教育受けてるの?)」というキツい言葉となって表れるわけです。ある種のイエローシグナルだともいえるでしょう。

「お里が知れる」とは差別的で失礼な言葉?

それでは最後に、もう少し掘り下げてみようと思います。

ここまで「お里が知れる」の意味や、使われ方を学んできました。

この言葉は、どうやらネガティブなニュアンスを含んでいるようです。むしろ差別的で失礼な発言だともいえそうですよね。本来の意味を考えるに「生まれや育ち」や「教育を受けているか・受けていないか」で、他人を判断しているからです。

生まれる家は選べません。この世には、望んだ教育を受けられない人もいます。

それを指摘し、非難するのは筋違いでしょう。この世界に、生まれによる差別があってはならないのです。

もちろん、この言葉が生まれた時代には、そうした習慣もあったのだと思います。

それはそれで尊重すべきものだと思います──その時代ごとの価値観を否定するわけにはいきません。ただ常識や価値観は、時代ごとにアップデートされていくものです。

単に「お里が知れる」に関しては「現代ではふさわしくない言葉になった」と言った方が適切でしょう。

あ、もちろん「マナーを知っているのにあえて破っている場合」は別でしょう。ちゃんと作法を知っているのに守れないのは、本人の責任でしょうから──気を付けなくてはいけませんし、指摘して問題無いことです。

とはいえ、そうであっても「お里が知れる」という言葉を用いる必要はないのだと思います。ただの注意で済むわけですから。

「お里が知れる」は使わない方が無難

今回は「お里が知れる」という「ん?」となる言葉について学んでみました。

ちょっとネガティブな言葉のようでしたね。おそらく良い意味で使うことはできないでしょう。ほとんどの場合、言った相手を怒らせたり悲しませたりすることになりそうです。使わない方が無難だといえるでしょう。

そして、もし他人に何かを言いたくなった時には「相手のバックボーンを非難する」のではなく「相手本人にシンプルに注意する」だけでいいのだと思います。

生まれ育ちや過去のことを言われても、今さらどうすることもできません。そこを指摘することは現代では「品がない」ことだともいえます。

使う言葉によって、相手に与えるイメージは異なります。ぜひ素敵な言葉を使って、素敵な人生を作っていきましょう。

貴女に幸せが舞い降りることを祈っております。

(浅田悠介)

※画像はイメージです

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