格好いいものから何それと思うものまで、戦国武将の幼名たち
平安時代から江戸時代にかけての日本では、武士や貴族の子供は「幼名」という大人になるまでの名前を付ける習慣がありました。例えば、戦国武将の織田信長は幼いころは「吉法師」という名前でした。今回は、戦国時代に活躍した武将たちの「幼名」をご紹介します。
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あの豪快な武将も幼いころはかわいらしい名前だった!
●伊達政宗⇒梵天丸
腐女子の皆さんにも人気の戦国武将・伊達政宗の幼名は「梵天丸」。古代インドではブラフマーという名前の神様がおり、それが仏教に取り入れられた際にこの梵天という名前になりました。神様の名前を付けるなんて、幼名まで格好いいですね。
●上杉謙信⇒虎千代
武田信玄と激闘を繰り広げた上杉謙信は「虎千代」という幼名でした。諸説ありますが、ここから「越後の虎」という異名が名付けられたのだとか。名前に「虎」というのはちょっと憧れますね。ではライバルの武田信玄はどうだったのかというと……
●武田信玄⇒太郎
甲斐の虎ともいわれる武田信玄ですが、幼名はものすごくシンプルでした(笑)。
●加藤清正⇒夜叉丸
豊臣秀吉の家臣であり、築城の名手として知られる加藤清正の幼名は「夜叉丸」。ものすごく格好いい名前です。
●今川氏真⇒龍王丸
桶狭間で織田信長に討たれた今川義元の息子、今川氏真の幼名は「龍王丸」。これも夜叉丸に負けないくらい格好いいですよね。
●織田信忠⇒奇妙丸
織田信長の息子、信忠の幼名は「奇妙丸」。顔が奇妙だったからこの名前になった、という説もありますが、いずれにせよ「ちょっとアレ」な名前です。桶狭間では今川義元に勝った織田信長ですが、息子の幼名の格好良さでは今川義元の勝ちですね。
●徳川家康⇒竹千代
徳川幕府を開いた徳川家康の幼名は「竹千代」でした。これは徳川将軍家の代々の幼名になり、家光や家綱などもこの幼名でした。
●豊臣秀吉⇒日吉丸
戦国時代の三英傑の一人、豊臣秀吉の幼名は「日吉丸」といわれています。しかし、これには諸説あり、幼名そのものも創作だという話もあるそうです。
●豊臣秀頼⇒拾丸
豊臣秀吉の息子、豊臣秀頼は「拾丸」(ひろいまる)というなんとも変わった幼名でした。秀吉は長男を生まれてすぐに亡くしており、当時「拾われてきた子は丈夫に育つ」という話があったこともありこの名前にした、という説があります。
●本多忠勝⇒鍋之助
参加した合戦のいずれにおいても、「かすり傷一つ負わなかった」という逸話が残されているほどの最強武将・本多忠勝。しかし幼名は鍋之助という「変かわいい名前」でした。ギャップが面白いですね。
戦国武将の幼名はこのようなものがあります。こう見ると幼名には「丸」が付けられることが多いですね。当時「丸」は「排泄」と意味する言葉と考えられており、汚い名前を付けることで悪いものから興味を持たれないようにした、という説があります。
子の健康を願う親の気持ちの表れなのでしょう。ただ、そういう前向きな願いがこもっていても「拾丸」はちょっと勘弁してもらいたいですよね(笑)。
(中田ボンベ@dcp)
※この記事は2015年01月25日に公開されたものです