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東京大学の赤門にまつわる意外な話―「昔は富士山のそばにあった」

東京大学の本郷キャンパスにある「赤門」。皆さんは、この赤門がそもそも何のために建設されたものかご存じですか? 今回は、赤門が造られた理由など、赤門にまつわる話を紹介します。

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赤門は江戸時代に造られた!

赤門は、旧加賀藩主だった前田家上屋敷の門として、江戸時代に建てられた建造物です。当時の藩主だった前田斉泰が、時の将軍・徳川家斉の娘である溶姫を正室に迎えた際に建造したそうです。

本郷キャンパスは前田家上屋敷の跡地に建てられており、赤門は上屋敷の名残をとどめるものの一つなのです。また、赤門は数少ない御守殿門(将軍家の娘が嫁いだ大名の屋敷の門)の中でも珍しい建築様式のため、非常に貴重なものとされています。

ちなみに、赤門は本郷キャンパスの正門ではありません。赤門より北の大理石造りの門が正門です。

赤門の場所は昔は違った

さて、御守殿門として建造された赤門ですが、建築当初と現在とでは、位置が少し違うそうです。東京大学130周年事業の一つとして行われた「東京大学130の秘密」によると、赤門は1903年のキャンパス拡張の際に、最初の建造場所から動かされました。現在の場所から東に15メートルほどの場所が、本来赤門があった場所なんだそうです。

赤門の近くに富士山があった!

同じく「東京大学130の秘密」によると、赤門の近くには「富士山」があったそうです。といっても、本物の富士山ではなく、富士山と呼ばれていた小山だったそうです。この小山の木の元には、富士権現を祭った塚があり、富士山まで行けない人が参拝していました。明治時代には富士山ではなく「椿山」と呼ばれていたそうです。この富士山は、1964年に学部棟を新設する際に削られ、現在では残っていません。

赤門にまつわるエピソードを紹介しましたが、皆さん知っていましたか?

(貫井康徳@dcp)

※この記事は2013年10月09日に公開されたものです

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