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雑学 生活

喜寿にしてフォーリン・ラブ!一休さんは悟りを開けなかったって本当?

童話でも人気の高い一休さん。屏風(びょうぶ)に描かれたトラを捕まえるなどの「とんち」話で有名だが、これらは後世に作られたフィクションで、本当の一休さんはよい子の見本にはほど遠い人物だった。

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悟りを開いたあかしに師から与えられた「印可(いんか)証」を捨ててしまうわ、戒律を破ってこそ人間だ!と詩に謳うわで、破門されなかったのが不思議なほどの破戒(はかい)僧で、77歳のときに50歳も年下の女性と同棲…「生まれ変わっても、また一緒に暮らそう!」と詩をよむなど、悟りとは無縁のお坊さんだったのだ。

■とんちよりも破戒がお好き?

「一休さん」のモデル・一休宗純(そうじゅん)は室町時代の人物で、1394年に生まれと記録されているが、「藤原のなにがしの子」とされるだけで出自ははっきりとしていない。17歳になると詩を学び、その生涯を閉じるまでに多くの作品を残す。

その後は名を宗純(そうじゅん)に改め、20歳のときに皆伝(かいでん)、つまり師から「もう教えることはなにもない」と言い渡された。

順調にエリート街道を歩んでいたが、21歳で人生の大きな転機を迎える。なんと病気で亡くなった師のあとを追い、入水自殺をはかったのだ。幸いにして一命を取り留めるが、これを境に奇怪な行動を繰り返すようになった。

27歳のときに、悟りを開いた証として印可(いんか)証を与えられる。ところが、師匠や兄弟子への反抗心から印可証を捨ててしまったというから、悟りどころの話ではない。それからは狂雲子(きょううんし)と名乗り、詩集・狂雲集(きょううんしゅう)にも、その生きざまがうかがえる詩を数多く残す。

たとえば、

【原文】持戒は驢と為る、破戒は人

【現代語】戒律を守るヤツはロバになる、守らないのが人間らしさだ

【原文】人境、機関、吾れ会せず

【現代語】人や境といった禅の教えを、オレは受け入れる気はない

と、リアル一休さんを絵本にしたら、ちびっ子たちには読ませたくない本に指定されそうなほど、反骨精神あふれるひとだったのだ。

■喜寿にしてフォーリン・ラブ!

破天荒な人生は時間とともにエスカレートし、晩年は酔っ払いのエロジジイと呼ばれてもしかたない状態で過ごす。喜寿と呼ばれる77歳のときに森女(しんにょ)という女性と同棲し、ろくに詩も書かずに過ごしていたのだ。

【原文】十年、愛におぼれて文章を失す~天然に即ち忘る

【現代語】この10年、愛に夢中で文学をおろそかにしていた~自然に忘れていたのだ

このとき森女は30歳前後だというから、半世紀もの「年の差婚」でもあり、禁止されていた結婚ではなかったにせよ「ハレンチなひと」と批判されたに違いない。のちに弟子達が作った年譜にも森女の記載はほとんどなく、消し去りたい経歴だったことを物語っている。

その後マラリアによって他界するが、療養中は後悔や未練に満ちていたようで、悟りとは真逆のウェットな辞世が多い。

【原文】夜深く、雲雨、三生を約す

【現代語】(森女にあて)生まれ変わっても、また愛しあいましょう!

【原文】誰か奏す、還郷、真の一曲

【現代語】(私が亡くなったら)誰か弔いの一曲を演奏してくれるのだろうか…

と、「そろそろ悟りなさい」と言われてもしかたない状態で88年の人生を閉じた。2013年・日本人男性の平均寿命が80.21歳なので、当時なら驚異的な長寿だが、それでも一休さんには物足りなかったようだ。

あわてない、あわてない。一休み。

■まとめ

・一休さんのトンチ話は、江戸時代に作られたフィクション

・27歳で悟りを開き印可証をもらったが、こともなく捨ててしまった…

・77歳のときに、50歳近く年下の女性と同棲

自ら「破戒の沙門、八十年」と記しているように、戒律を守らない破戒(はかい)僧として一生を過ごした。

にじみ出る反骨精神とパンチの効いた皮肉が、権力に屈しない「とんち坊主」の原型と知ったら、ちびっ子たちもびっくりするに違いない。

(関口 寿/ガリレオワークス)

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