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“30歳になるのがこわい”を突破する方法 ~「世界ふしぎ発見!」ミステリーハンター・宮地眞理子さんの場合~

島影真奈美

20代後半にさしかかると、多くの働き女子が人生の転換期を迎えます。仕事でもプライベートでも「このままでいいの……?」と悩み始める時期。充実した30代を迎えるには、20代後半をどう過ごせばいいのでしょうか? 今年1月に初めての著作となる『地球のふしぎを歩こう』(PHP研究所)を出版した、”ミステリーハンター”の宮地眞理子さんに聞きました。 

2016年1月に初めての著書『世界のふしぎを歩こう』(PHP出版)を出版

2016年1月に初めての著書『世界のふしぎを歩こう』(PHP出版)を出版

26歳でミステリーハンターに抜擢。訪れた国は35カ国以上

──宮地さんの「日立・世界ふしぎ発見!」(TBS)“ミステリーハンター”歴は10年以上。巡った国は北極から南極、アジア、ヨーロッパと35カ国を超えるそうですね。

南極ロケでの1枚。手前のペンギンはホンモノです

南極ロケでの1枚。手前のペンギンはホンモノです

宮地:そうなんです。初めてミステリーハンターとして取材に行かせていただいたのは2004年、モルディブ共和国でした。

当時は、舞台やCMの仕事をを少しはさせていただいていたものの、リポーターの仕事はほとんど初めて。でも、右も左もわからない不安感より、ワクワクする気持ちのほうが大きくて。憧れのミステリーハンターをやらせてもらえる日が来るなんて! と、ひたすら感激していました。

──26歳でミステリーハンターに抜擢され、その後も順調に、出演回数を重ねていきます。宮地さんにとって28~29歳はどういう時期でしたか。

宮地:ひたすら焦っていました(笑)。とにかく、もう必死で。特に29歳の頃は海外ロケも多くて、たしか一年間で7回近く取材に行かせてもらっているんです。それも、南極からスタートして、ナミビア、ペルー、マレーシア、インドと、エリアも国もバラバラ。時期によっては、前回のロケの時差ボケが治らないまま、次のロケ先に旅立つなんてこともありました。

マチュピチュの遺跡と宮地さん

マチュピチュの遺跡と宮地さん

「30歳までに次のステージに行かなきゃ!」という焦燥感

──体力的にも精神的にもきつそうですよね……。

宮地:さいわい、体がすごく頑丈なおかげで、体力的には問題なかったんですが、いろいろ考えさせられた時期でした。ミステリーハンターの仕事はすごく楽しいし、ためになる。でも、もっと舞台やテレビ、映画の仕事にも挑戦したい、漫才もやりたくて。でも、一度に全部なんてどう考えても無理。なのに、どれもこれもやりたい!! という気持ちばかりが先走ってしまって(笑)。「30歳になるまでに、次のステージに行かなきゃ」みたいな気持ちも強かったような気がします。今振り返って見ると、「次のステージ」ってどこだよ? って思うんですけど。

──漫才ですか!?

宮地:当時、同世代で切磋琢磨していた友田安紀ちゃんと「イチカバチカ」というコンビを組んで、活動していました。海外ロケからの帰りの飛行機では、ずっとコントのネタを考えて、帰国後はひたすら練習。若手芸人のライブに出演させてもらったり、小劇場のお笑いライブのオーディションを受けたり。

「海外に行くたび、知らない世界を知り、元気をもらいました」と宮地さん

「海外に行くたび、知らない世界を知り、元気をもらいました」と宮地さん

ミステリーハンターが、時代小説作家を「師匠」と仰ぐ理由

──リポーターと漫才では、まったく違うジャンルの仕事のようにも見えますが、実は共通点があったりするんですか?

宮地:共通点ありました! 私はツッコミ担当だったんですが、ツッコミは「相手をイヤな気持ちにさせないで、面白く相手の内面に踏み込む行為」です。実は、リポーターが現場で求められる役割も、まさにこの「ツッコミ」なんです。大変な思いもたくさんしたけど、「お笑い」について必死に考える時期を過ごしたことが、今の仕事に役立っているなと思うことがたくさんあります。

──なるほど。思いがけないところで、つながりますね。

宮地:それでいうと、今回、『地球のふしぎを歩こう』という本を出版させていただいたのも、元をたどれば、漫才のご縁なんです。漫才師を目指していた頃の師匠・畠山健二先生が今は、作家として時代小説『本所おけら長屋』シリーズ(PHP文庫)を手がけられていて。「お前もせっかく面白い経験をしてるんだから、何か書け」と、出版社の方を紹介してくださったのが、最初のきっかけでした。

宮地さんの師匠・畠山健二さんの時代小説「本所おけら長屋」は累計18万部突破の人気シリーズ(PHP文芸文庫)

宮地さんの師匠・畠山健二さんの時代小説「本所おけら長屋」は累計18万部突破の人気シリーズ(PHP文芸文庫)

海外に行っても、”ホントの自分”は見つからない。でも、変化は起きる

──今回、本の執筆を通じて、これまでの旅を振り返ってみてどうでしたか?

宮地:普段、何げなく過ごしている日常が、決して”当たり前”ではないということを、繰り返し経験させてもらってきたんだなと、改めて感じました。よく「海外に行くと、人生変わる」なんて言われることもありますが、海外に行ったからといって、人生が変わるわけでも、“ホントの自分”が見つかるわけでもない。でも、何も変化が起きないかというと、そうではないと思うんです。知らない世界を知れば、自然と好奇心もかきたてられるし、不便さを工夫で乗り越えれば自信もつく。こうした小さなことの積み重ねが視野を広げてくれるし、悩みやストレスをやわらげてくれる気がします。

ボリビア・ウユニ塩湖に立つ、宮地さん

ボリビア・ウユニ塩湖に立つ、宮地さん

20代と30代、「焦り」との付き合い方はどう変わったのか

──宮地さん自身が「焦り」から開放されたのは、いつ頃ですか。

宮地:30歳を超えた途端、スーッとラクになりました。20代後半は”新人”とも言えなくなってきた時期だけど、ベテランというには経験が足りない。中途半端な時期だったから余計苦しかった気がします。30歳になると、もう一度スタートラインに立てるというか。もちろん、30代になっても、相変わらず壁にぶつかったり、悩んだりもしています。ただ、20代のときのように、必要以上に焦るということはなくなりました。

──「焦り」とのつきあいかたが変わった?

宮地:そうかもしれません。20代の頃は”できない自分”が許せなくて、とにかく無理やりにでも走るしかないという気持ちでいっぱいでした。でも今は、受け入れられるようになったのかな。諦めないし、努力もするけど、365日全力疾走はできないよねって「焦り」をどう受け入れてやり過ごせばいいのか、ようやく掴みつつあるのかも(笑)

『世界のふしぎを歩こう』(PHP出版)には、宮地さんが訪れた「世界の絶景・秘境」が多数登場する

『地球のふしぎを歩こう』(PHP研究所)には、宮地さんが訪れた「世界の絶景・秘境」が多数登場する

後悔しても自分で決めたことなら、前向きになれる

──最後に、まだ悩みの渦中にいる20代読者に向けてアドバイスをお願いします。

宮地:私自身がそうだったんですけど、悩んでる最中って、やることなすこと裏目に出ている……と思うことがたくさんあります。でも、そのとき選択したことは決して間違いではないし、いずれ役に立ったと思える日がやってくるので大丈夫です。ただ、ひとつだけ気をつけなくちゃいけないことがあって。それは、誰かにアドバイスを求めたとしても、最終的には自分で決めること。誰かの意見に従って決めると、失敗したとき、受け入れるのがつらくなります。「あの人のせいだ」って思っちゃうから。「選んだのは自分だから」と思ったほうが、気持ちを前向きに切り替えやすくなるんじゃないかなと思います。

<プロフィール>
PROFILE:みやちまりこ●神奈川県出身。TBS系「日立・世界ふしぎ発見!」ミステリーハンターとして活躍中。MBS「住人十色~家の数だけある家族のカタチ~」レギュラーリポーター。短大卒業後、ショッピングモールのミスコンテストで優勝。レースクイーンとなったことをきっかけに、活動を開始。ドラマや映画、CMなどにも出演中。
●宮地眞理子Facebookページ:https://www.facebook.com/miyachimariko/

(島影真奈美)

※この記事は2016年03月31日に公開されたものです

島影真奈美

フリーのライター&編集。モテ・非モテ問題から資産運用まで幅広いジャンルを手がける。共著に『オンナの[建前⇔本音]翻訳辞典』シリーズ(扶桑社)。『定年後の暮らしとお金の基礎知識2015』(扶桑社)、『レベル別冷え退治バイブル』(同)ほか、多数の書籍・ムックを手がける。ハーバー・ビジネス・オンラインにて『仕事に効く時代小説』連載中。書籍や雑誌、マンガの月間消費量は150冊以上。マンガ大賞選考委員でもある。

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