「血は争えない」の意味や使い方は? 類語「蛙の子は蛙」との違い
「血は争えない」とは、親子が同じ血筋を引いていることを示す慣用句です。この言葉の正しい意味はご存じですか? また「蛙の子は蛙」などの類語との使い分けも気になるところ。この記事では、「血は争えない」の意味と使い方を例文付きで解説。併せて一般人が「血は争えない」と感じたエピソードをご紹介します。
「血は争えない」とは、親から性格などを受け継いでいることは否定しようがない、という慣用句です。
普段は「親と私って、全然似ていない!」と思っていても、ふとした瞬間に「血は争えないな」と親子であることを実感した経験はありませんか?
今回は、この慣用句の正しい意味と使い方を例文と共に解説。併せて、「血は争えない」と感じたエピソードをご紹介します。
慣用句「血は争えない」とは?
「血は争えない」とは慣用句として使われる言葉で「ちはあらそえない」と読みます。言葉の正しい意味や使い方を見ていきましょう。
言葉の意味
「血は争えない」を辞書で引いてみると、以下のように出てきます。
血(ち)は争(あらそ)えない の解説
子どもが父母から気質・性向を受け継いでいることは否定しようがない。血筋は争えない。
『デジタル大辞泉』(小学館)
「争えない」という表現に違和感を抱く人が少なくないのでは? 一般的には「争う」のように使いますよね。
「争えない」と否定形になった場合、事実がはっきり現れて否定できない、隠すことができないといった表現になります。
「血は争えない」は、親子の血筋が存在することは明確であり、否定できないといった意味を持ちます。
類語とそれぞれの違い
「血は争えない」には、いくつか似たような形で使われる言葉があります。類語と、それぞれ「血は争えない」とのニュアンスの違いを見ていきましょう。
蛙の子は蛙
「蛙の子は蛙(かえるのこはかえる)」は、子は親と同様の道を歩むものという意味を持つ慣用句です。
「血は争えない」と違うのは、凡人の子は凡人にしかなれないというネガティブな意味で使われる場合が多いということ。蛙の子はしょせん蛙だ、というニュアンスです。
一方「血は争えない」は、親子で多大な業績を残した時などポジティブなニュアンスでも使える言葉です。
血筋
先ほども出てきた「血筋(ちすじ)」という言葉は、単体だと血のつながりのことを表します。
「○○の血を引くだけあって、息子の作品は素晴らしい」「娘の言動からは先祖代々の血筋を感じさせる」といった使い方をすると、「血は争えない」と同様の意味として受け取らせることができます。
性(さが)
「性(さが)」は、生まれつきの性質や性格を意味する言葉。特に欠点や悪い部分というネガティブなニュアンスが強く「愚かな人間の性である」といった使い方をします。
「蛙の子は蛙」の時と同様に、あまり良い意味で使われない言葉として、「血は争えない」と差別化できます。
「血は争えない」の使い方
「血は争えない」は、親子の外見や内面が似ていることを示す時に使う言葉です。基本的には親子間のみで使われ、親戚や兄弟・いとこに対して使うことはできません。
具体的にどのように使うのか、例文と共に見ていきましょう。
例文
・生まれたての娘を抱いた夫の第一声は「○○(妻)にそっくり! 血は争えないな~」でした。
・血は争えないと言うように、最近自分の顔が母に似てきたと思うことがある。
・夫は義母と似てかなりの浪費家で、血は争えないものだなと感じます。
・A社の新社長に息子が就任したようだが、やはり血は争えないようで、かなりの敏腕らしい。
このように「血は争えない」はポジティブにもネガティブな意味でも使うことができます。
しかし「さすが○○さん、血は争えないな」というような一見ポジティブな言葉でも、中には自分の功績を親の七光りだと言われているように捉え、気分を害する人がいるかもしれないので注意が必要です。
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