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ラブレターに赤ペン先生してた!? 男がらみの問題で苦労した「紫式部」の奇特な人生

堀江 宏樹

世界遺産などでお馴染みのユネスコから、日本人としてはじめて偉人登録されたことのある紫式部。11世紀前半を生きた、平安貴族のレディーではありますが、彼女の書き記した文字の合間を読み解いていくと、色んな側面が見えてきます。

まず、男がらみの問題で苦労した女性なのだろうなぁということ。父親の同僚の、かなり年の離れた、ついでにヨソに正妻のいる藤原宣孝(ふじわらののぶたか)と結婚したのが20代後半です。

現代ならアラフォー女の崖っぷち婚に相当ですね。宣孝から来た恋文を添削してつき返した後のことで、よく結婚できたなぁーと思ってしまいます。

しかし、結婚後のある時、宣孝が年甲斐もなくド派手な服装で、吉野の金峰山にお参りした様子を清少納言に批判され、『枕草子』では「あはれなるもの(ダメな大人の例)」として、晒されるという事件が起きたのです。

紫式部は、一度愛した男のことは思い詰めるタイプのような気がします。そもそも紫式部はラブレターに赤ペン先生するくらいのかなり勝ち気な女性でしたからね。清少納言の文学でツケられた因縁は、文学で返すとばかりに『源氏物語』執筆に励み……(これらは筆者の推理ですが)、そういう紫式部を、(夫の元・上司にあたる)あの藤原道長が物心ともに応援したようなんですね。
紫式部は『源氏物語』の成功と共に、宮廷の人気者になり、モテるようにもなります。すると「道長様が夜、尋ねて来て、私の部屋の戸を叩くけど、入れてやらなかったわ」的なことをみんなが読むことを想定した自分の日記でわざわざ書いちゃうんです。まさに「拗らせ女」ってヤツです。

しかし、夫・宣孝にせよ、一説に光源氏のモデルとすらいわれる藤原道長にせよ、現実の男たちとはちがって、『源氏物語』の主人公・光源氏の設定は女性のニーズに合わせて造形されているのです。

ご存じの通り、光源氏は金持ちでイケメンで、浮気性です。しかし、ここからが重要ですが、深い仲になった女は最後まで面倒をみる、甲斐性ある男として理想化もされているんですね。現実の平安貴族の男は、お嬢さまの実家に転がりこんで世話してもらう、つまり「逆玉」狙いのヒモ男ばかりでした。光源氏は美女揃いのハーレム御殿・六条院を建設し、愛人たちをまとめて住まわせたとされます。しかし、これも実はある意味、女性にこそ嬉しい設定だったかも。なぜならお屋敷など不動産などは女性も継承することができましたが、その維持には現金がかかります。しかし女性が働いてお金を稼ぐ手段は当時、非常に限られており、現金を稼げるメンズが絶対に必要でした。しかし、メンズは移り気でしょっちゅう関係は途切れてしまうのですから、女性としては、囲ってくれるほうがよほど気楽だったんですねぇ。

また光源氏のキャラは、父親から「お前が男の子で、家を継いでくれていたらよかった」と言われ続けて育った紫式部自身が「自分が男ならば、こういう風に生きたい!」と思って作った気が筆者にはするのです。そもそも例の道長様が夜に来ちゃったとか書いてる『紫式部日記』では、同僚のぽっちゃり美少女・弁宰相君(べんのさいしょうのきみ)の部屋を覗き、昼寝していた彼女の姿を執拗に観察する紫式部自身の姿が書かれています……。

「顔を見ただけじゃん」と思うのなら、甘い。平安時代の女性は異性同性をとわず、人の視線に顔をみだりに晒すことを恥じらいました。現代的に言えば、「昼寝していて起きたら、紫式部さんにスカートをめくられていた」という感じなんですねぇ。
「面白い小説を書ける人は、その人自身が面白い」というルールはこの頃から確かにあったようです。

(堀江宏樹)

※この記事は2015年10月24日に公開されたものです

堀江 宏樹

プロフィール歴史エッセイスト。古今東西の恋愛史や、貴族文化などに関心が高い。

公式ブログ「橙通信」
http://hirokky.exblog.jp/


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