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恋愛テクは色あせない! 吉原の遊女が使っていた、本命男性をつなぎ止める方法

堀江 宏樹

女性遊女がお客を本気惚れさせるがために使われる、いわばラブテクニックのことを「手練手管(てれんてくだ)」と言いました。

現代でも時々、耳にする言葉かもしれません。これも元来は吉原用語、いわゆる「さと言葉」だったのです。「手練手管」の語源ですが、「手練」も「手管」は両方とも「人をだます手段や技術」の意味だそうで。重ねて使うあたりからも、吉原の遊女の接客にいかにその手のテクが必要とされていたかがわかります。今回は遊女たちの手練手管のいくつかをご紹介しようと思います。

まず最初は「おさしみ」と呼ばれた、ラブテクニックから。これが吉原用語でいうキスのことなんですね。そう、現代人には「ただのキス」ですが、遊女にとってはお客を本気にさせる手段なのです。

「おさしみ」とは唇のやわらかさを摸したとも考えられますが、冷蔵庫が無かった当時、いくら高級品の氷で冷やしているとはいえ、鮮度のよい美味なおさしみは、滅多に食べられなかったはず。つまり遊女のキスが、ご馳走に喩えられるということは、むやみに彼女たちがお客とキスをしなかった、つまりそれが珍味だったことのあらわれだと筆者は思います。

実際に当時の史料を読んでいると、「おさしみ」と呼ばせていたのは客目線の時だけみたいなのです。実際の遊女たちの間での、客とのキスは「手付け」「きまり」などと事務的な名前が付けられていましたから。

つまり、キスなどしてるより、布団の中で絡んでしまって、一秒でも早く終わらせたい! という本音を押し隠し、サービスの一環として情熱的なキスを(これから貢いでくれそうな)お客にはプレゼントしていたようなのですねぇ。

ちなみに江戸時代の吉原以外での売春の類は幕府からは厳禁されていました。ところが法の目をかいくぐって、エッチなアルバイトをする女性たちは数多くおりました。吉原の遊女たちが公的に認められた娼婦、つまり「公娼」というのに対し、それ以外の娼婦たちを「私娼」と呼びました。公娼である吉原の遊女たちが、辛気くさいと嫌がったキスも、私娼の場合は多目にしていたそうです。江戸時代、情熱的なキスをしてくれる素人女性は、少なかったのでしょうかねぇ。

ほかに吉原の遊女にされて、男性たちが喜んでしまったラブテクには、「つねられる」ということがありました。SMプレイではありません(笑)。遊女に「もぅ~。なかなか来てくれないから切なかったわ~」などとスリよられ、「憎らしい、お・か・た」などといわれながら、つねられると男性客はホワワーとなってしまったそうな。遊女は内心、「阿保か」と思ってたりするのですが。遊女につねられた跡を見せびらかす、ほんとに阿呆な男性陣もいたでしょうねぇ。遊郭で歌われていた、流行り歌である「都々逸(どどいつ)」には、こんな歌詞がついたものがあります。

「色がつくほど (遊女は)つねってみたが (客の肌は)色が黒くて 分からない」

男女ともに肌の色が黒い=ブサイクという美的価値があったのが江戸時代です。あまり見目のよろしくないお客のリクエストにも応えようとしている遊女ですが、跡をつけようにも地肌が黒すぎてできません。これ以上、つねってよいものか、と困っている様が思い浮かんできて、笑えてしまいますね。

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著者:堀江宏樹
角川文庫版「乙女の日本史」を発売中
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※写真と本文は関係ありません

※この記事は2015年01月10日に公開されたものです

堀江 宏樹

プロフィール歴史エッセイスト。古今東西の恋愛史や、貴族文化などに関心が高い。

公式ブログ「橙通信」
http://hirokky.exblog.jp/


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