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資生堂が2020年メーキャップを予測!キーワードは「ジャパンカラー」と「スポーティーポップ」

ジャパンカラー

資生堂は、東京オリンピック開催で注目される2020年の未来のメーキャップを予測するとともに、1920年から現在に至るまでの化粧の変遷を1名のモデルで再現した。

■景気が上向くと口紅は明るく眉が太く
過去の社会・景気動向と化粧の関係性から、景気が良くなると明るい色の口紅や太眉が主流となり、凛とした元気なメーキャップが流行する傾向にある。一方で景気の悪化にともない、細眉など頼りなく表情のさめたメーキャップが流行する。また、天災や情勢不安があるとナチュラル回帰するという。最近では口元に色が戻り、太眉の傾向が続いていることから景気の上向き傾向への期待が現れているといえる。

■2020年は「日本らしさ」と「スポーツ」
東京オリンピックにより、日本独自の伝統や文化に注目が集まり、スポーツ産業が活性化する2020年。同社では「ジャパンカラー」と「スポーティーポップ」の2つのメーキャップを提案している。「ジャパンカラー」は、日本古来の化粧の三原色「赤」「白」「黒」を基調に、和の化粧を現代風にアレンジしたもの。「スポーティーポップ」は、明るいブルーを使用したダブルラインが特徴の軽快でスポーティーなメークとなっている。

スポーティーポップ

■西洋文化や銀幕女優に憧れた1920年〜1950年代
1920年代〜1970年代前半には西洋文化への憧れが見られる。銀幕の女優や欧米のスターアイコンを手本に、細く下がった眉、目尻にシャドーを入れたタレ目、薄いおちょぼ口など、日本の伝統的な化粧だった1920年代から、西洋的な化粧へと移行していった。1930年代になると西洋的なメイクが本格化し、さらに戦後の1950年代では、意志の強そうな角型の太い眉と、アイラインでつり上げた目もとなど、復興期の日本の力強さが現れたメイクとなっている。

1920年〜1950年代のメイクの変遷

■西洋人顔を真似る1960年代〜1970年代前期
東京オリンピックをきっかけに、1960年代〜1970年代前半は本格的に世界を意識し始める傾向がみられる。日本の伝統的な3原色から脱却し、口紅に淡いシャーベットトーンを用いるなど、メイクの幅が広がっていく。映画女優からモデルへと憧れの対象が移行し、上瞼に二重ライン、つけまつ毛などが流行。また、日本史上初めて日焼け色の肌が大流行した時代でもある。しかし、ベトナム戦争や反戦運動など暗い話題の多い1970年代に入ると、メイクは目の下にシャドーの入ったタレ目風、非常に細い眉など頼りない雰囲気のものとなっていく。

1960年代〜1970年代前期のメイクの変遷

■女性の社会進出が現れる1970年代後期〜1990年代初期
日本人デザイナーがパリコレクションで認められるなど国際舞台に立つようになった1970年代後期は、日本人固有の美しさを見直す時期となる。同社では1973年に広告モデルとして純日本的な山口小夜子を起用し、さらに1976年に真行寺君枝を起用した広告では日本人の切れ長な目もとの魅力をアピールし話題となった。景気が向上した1980年代はキャリアウーマンブームを迎え、眉メイクも一気に太く濃くなる。バブル期を迎え徐々にワンレン、ボディ・コンの女らしいスタイルへ移行し、その後はっきりとした色の特徴的な口紅以外のメイクは薄くナチュラルに変遷した。

1970年代後期〜1990年代初期のメイクの変遷

■空前の美容ブーム到来した1990年代後期〜現在
1990年代後半からが茶髪・細眉・小顔メークが流行。ギャル層、OLエレガント層、裏原系など細分化、多様化され、2000年代にはヘアエクステ、まつ毛パーマ 、まつ毛エクステ、黒目強調コンタクト、ジェルネールなどにまで美容ブームが広がる。しかし、東日本大震災を契機にナチュラルに回帰。癒しを求め日本女性が本来好む、涙袋メークや湯上りのぼせチークが流行し、眉の色は明るく、口もとにも色味が戻る時代へと移り変わった。

1990年代後期〜現在のメイクの変遷

※この記事は2014年12月09日に公開されたものです

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