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日本は約1200年に渡って肉食禁止だった!?  その影響で江戸時代の男性平均身長が155cmという結果が判明!

肉みなさまごきげんよう、歴史エッセイストの堀江宏樹です。基本的に現代の日本人はお肉大好きですよね。でもこれは歴史的に見て、珍しい現象なのです。675年、天武天皇が最初の「肉食禁止令」を出して以来、明治天皇が1872年1月1日にみずから牛肉を食べて見せるまで、なんと約1200年の長きにわたり、日本では肉食はNGだったのですから!

しかし、天武天皇の肉食禁止令の食べてはいけないという対象となったのは、日々の仕事や作業の手助けをしてくれる牛や馬。人間に姿が似ている猿、それから防犯の手助けをしてくれる犬や、鳴き声で人間を起こしてくれる鶏でした。その一方で、鹿や猪は食べてもOKだったんですね。畑の大事な作物を荒らすからでしょう。

しかし、時代が下るにつれ、日本人はあまり肉を、少なくとも表だっては食べようとはしなくなります。平安時代中期の法律書「延喜式(えんぎしき)」からは、京の都にもちこまれる各地の産物に、猪や鹿の肉を防腐剤のかわりに塩や調味料で味付けしたものがみられるのです。また貴族の日記の中にも、「馬刺し」ならぬ「鹿刺し」つまり、鹿の生肉をたしなんだ……という記述が出てきます。

それなのに、同じ平安時代に人気のあった『源氏物語』や『伊勢物語』といった作品の中で、理想化された登場人物が表だって、肉を食べるシーンなどはないのですね。現代みたいに「焼き肉なう」などと呟いて「いいなー」とレスがもらえるような、雰囲気はなかったと思われます。

肉を食べることは、動物を殺してしまうことです。昔の人は身分の上下をとわず、仏教を厚く信奉していましたから、殺生を慎みました。たとえば我が物顔で平安時代の朝廷を操った藤原道長の日記『御堂関白記(みどうかんぱくき)』にも、「視力が衰え、病気がちになったのは、コソコソ食べていた「肉食の報い」だと陰陽師だけでなく、医者からも言われました。魚だけにせざるをえないけれど、どーしても肉を食べたい時は、「法華経」を一巻分、写経すると誓います」……という記述が出てくるのです。ほんとうに傍若無人な道長ですら、罪悪感をヒシヒシと感じさせていたのが肉食という行為だったのです。

ちなみに戦国時代、ヨーロッパからキリスト教の宣教師がやってきますが、肉を食べたがらない日本人にあわせ、彼らも「肉断ち」にチャレンジせねばなりませんでした。渋々の決断でしたが。

その後、さらに肉を食べる伝統は乏しくなり、必然的にタンパク質の摂取量も減ります。すると不思議なもので、どんどん身長が低くなっていったのですね。成人男性の平均身長は、肉を食べていた古墳時代で約163cm。しかし肉を食べなくなった江戸時代では、約155cm程度しかありませんでした!

江戸時代、肉を食べてもそれは薬代わりとして。そもそも江戸時代といえば、米料理をおかずに、ご飯を食べるのが基本。魚も高価だったのであまり食べられず、蕎麦一杯より、ゆで卵一つのほうが2割も高価だったという時期です。江戸時代の男女はともにヒョロッとして体型だけは痩せてはいるけど、炭水化物過多ゆえに腹まわりはゆるかったと思われます……。

そして現在の日本では肉食禁止令が出されていたことなどウソのように、毎日のように大量の肉を食べる人、あるいは意識的に肉を食べず、生野菜ばかり食べている人なども出てきているようです。でも大事なのはバランスではないでしょうか。肉、魚、野菜、そして炭水化物。バランスの取れた食生活こそが大事なのです。

(堀江宏樹)

※写真と本文は関係ありません

※この記事は2014年08月08日に公開されたものです

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