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現代の星座はどのようにして決められたの?

天空の星々を、神話に登場する人物や動物に見立てて作られた星座。

【今はもう無くなってしまった星座たち「アルゴ座」「しぶんぎ座」】

現在では、「国際天文学連合(IAU)」という組織によって全天で88個の星座が定められていますが、これらの星座はいつ、誰が、どのように決めたのでしょうか。

星座の起源

実は、星座の起源について詳しいことは分かっていません。

ただ、一説によると、紀元前3,000年頃に栄えた古代メソポタミア文明にまでさかのぼるのではないかと言われています。

メソポタミア地方(現在のイラク付近)に住んでいた羊飼いたちが、羊の世話をしながら夜空を見上げて、いくつかの星を線で結んで動物などの形を作っていたとされており、これが星座の原型ではないかと考えられています。

やがてこれらは、古代エジプトへと伝わると、エジプト人たちは30種類以上の星座を作り出したとともに、星(今のおおいぬ座1等星シリウス)の動きを観察することで、ナイル川の氾濫時期をほぼ正確に知っていたとされています。

さらにその後は、古代ギリシアへと伝わっていき、星座を神話と結びつけることで、新たな星座を次々と生み出していきました。

トレミーの48星座

このような過程を経ながら、世界中でいろいろな星座が作られていきましたが、2世紀になるとギリシアの天文学者で数学者でもあった「クラディオス・プトレマイオス」が星座の整理に取り組みました。

プトレマイオスは、いろいろな地域に乱立していた星座を48個にまとめ、著書「アルマゲスト」の中で発表しました。

英語読みでは、プトレマイオスのことをトレミーと言うことから、通称「トレミーの48星座」と呼ばれていますが、このうちアルゴ座を除く47個は現代の星座でも採用されています。つまり、まさに現代の星座の基礎と言えるでしょう。

また、この本では、地球を中心にして太陽がその周りを回っているという考えに基づいた「天動説」のことについても書かれており、コペルニクスが太陽を中心とした「地動説」を唱(とな)える16世紀までの間、世界中の人々には天動説という考え方が信じられ続けてきました。

再び星座乱立の時代へ

こうして、16世紀までは同じ形で受け継がれてきた「トレミーの48星座」でしたが、17世紀頃に入るとその状況は変化していきました。

というのも、この時代になると望遠鏡の発達により新しい星が次々と発見されたり、大航海時代を迎えたことで、南半球などではそれまで見たこともない星が見えたりしました。このような事情から、新しい星座の整備が必要になりました。

またそれ以外に、自分の趣味で勝手に星座を作ったり、貴族のご機嫌を取るために星座を作ったりするような天文学者さえ現れました。

その結果、48個だった星座が100個以上に増えてしまいました。

現在の88星座へ

そこで20世紀に入ると、「国際天文学連合(IAU)」によって、再び星座の数を統一しようという動きが起こります。

現在も使われている88星座は、1928年にこの国際天文学連合が定めたもので、星座の名前だけでなく、星座同士の境界線・領域についても整理されています。その際、各星座の領域は絶対に重なることなく、かつ空の領域は必ずすべてどこかの星座に属するように決められています。

そのため、新しい星が発見された時には、その星がどの星座の領域にあるかで伝えることができます。つまり、星座が空の住所としての役割も果たしているわけです。

ただし、国際天文学連合では星座を作るために星を結ぶ線(星座線)については決めていませんので、これについては見た人の感性で好きなように結んであげればいいのです。

まとめ

普段、何げなく見上げている星座は全部で88種類ありますが、それら星座の起源は、古代のメソポタミア文明にまでさかのぼり、そこから実に5,000年もの歴史があったわけです。

きっと昔の人たちも、夜空を見上げながら、星をつなげて思い思いに好きな形をイメージしていたのでしょうね。

(文/TERA)

●著者情報
TERA。小さい頃から自然科学に関心があり、それが高じて科学館の展示の解説員を務めた経験も持つ。現在は、天文に関するアプリケーションの作成や、科学系を中心としたコラムを執筆している。

※この記事は2013年08月26日に公開されたものです

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