デヴィ夫人の名言をななめ斬り!「男性から選ばれる女になること」

矛盾に満ちた世の中を、レジェンドたちはどう渡り歩いてきたのか。ライター・仁科友里さんが名言をひも解きながら、「女の生きざま」をナナメから考察します。

デヴィ夫人の名言をななめ斬り!「男性から選ばれる女になること」

デヴィ夫人は現在「withonline」で婚活論を絶賛連載中ですが、夫人は一貫して「女性が男性を選んではいけない」「男性から選ばれる女になることが大事」と話しています。
日本人女性でありながら、インドネシア建国の父、スカルノ大統領と結婚した夫人ならではのお言葉ですが、ご本人がAだと思っていても、私のようなひねくれ者にはBに見えることは多々ある。ということで、今日も超簡単にデヴィ夫人の人生を振り返りながら、考えていきましょう。

夫人が育った家庭は、大変貧しかったそうです。大工だったお父さんは戦争中にお酒代わりに飲んだメチルアルコールのせいで、失明。大工としての仕事ができなくなり、お母さんの内職で家族が食べて行かなくてはならなくなります。お母さんは後妻だったため、夫人には異母兄がいたのですが、この兄がお酒を飲んではお金をせびるので、家庭は本当に暗いものだったようです。成績は優秀であったにも関わらず、高校進学はあきらめて就職する道を選びます。しかし、中卒では昇給率はよくありませんし、当時の女性ですから、出世の見込みはありません。会社に内緒で喫茶店でアルバイトをすれば、足元を見られて給料をピンハネされるなど、後ろ盾のないつらさを味わいます。知り合いに外国人専用の高級クラブを紹介してもらい、ホステスのアルバイトをはじめた夫人ですが、わずか2時間で会社の月給分が稼げることがわかり、専業ホステスとなります。そこで知り合った男性A氏と映画を観るために、帝国ホテルで待ち合わせをしていたところ、インドネシア人に「A氏は所用で遅れるから、ティーパーティーにいらっしゃいませんか?」と誘われ、そこにスカルノ大統領がいたそうです。大統領から「インドネシアに遊びに来ないか」と誘われ、現地でプロポーズされたそうです。

たしかに「選ばれた女」と言っていい人生ですが、疑問がないこともない。いくら美人だからといって、素性もわからない女性が大統領のティーパーティーに招かれるなんてことはあるのでしょうか。

このあたりのからくりを、作家・深田祐介氏は「神鷲商人」(文春文庫)でこう書いています。第二次大戦の敗戦国であった日本は、インドネシアに対し、戦後賠償として8000億円を物納する契約になっていた。商社がインドネシアに品物を納入すれば、日本政府がお金を払ってくれるということで、商社にとっては、とりっぱぐれのない大きなビジネスチャンス。当然、インドネシア政府関係者に取り入ることになりますが、スカルノは大の女好きとして有名だった。ということで、各商社がスカルノに取り入るために好みの美人を探しており、典型的インドネシア美人の顔立ちをした夫人に白羽の矢が立ったという見方があるようです。商社の肝いりがあるからこそ、大統領と出会えたと考えると筋は通ります。

イラスト:井内愛

しかし、その後の人生はわかりやすく「めでたし、めでたし」とは行かなかったようです。まず、すぐに結婚できたわけではなく、最初は囲われ者としての立場からのスタートでした。立場を大っぴらにできないので、外出もできません。その上、現地には別の商社が送り込んだ日本人女性がいたことを知ります。彼女はスカルノ大統領との結婚を夢見ていましたが、それがかなわず、自殺してしまいます。結婚して第三夫人となってからも、スカルノの女道楽が止むことはなく、こっそり第四夫人をめとります。訪日の際は芸者さんと浮気もしていたようです。思い悩んだ夫人は修道院に家出をしたり、自殺未遂を図ったりしています。夫スカルノもいつまでも安泰というわけではありません。建国以来、独裁体制をしいてきましたが、クーデターが起きて失脚します。夫人は出産で日本に戻っていたために無事でしたが、幼子を連れてパリに亡命することを決意……といった具合に、激しい人生が夫人を待ち受けていたのでした。

インドネシアに渡ってからの夫人の人生は、あまり知られていないように思いますが、渡尼後の人生を考えるに、夫人は「スカルノに選ばれた」のではなく「スカルノを選んだ」のではないかと思えてくるのです。今のように海外旅行が当たり前の時代ではありません。言葉も通じない、政情不安定の国に嫁ぎ、39歳年上の男性と結婚するのは生半可な覚悟ではできないと思うのです。

加えて、スカルノは夫人にとって、完璧な結婚相手だったと言えるのではないでしょうか。

夫人はホステス時代、アメリカ人の富豪に湯水のように金を注がれて愛されてきましたが、男には本国に妻がいました。いくら愛されても愛人どまりです。そもそも、夫人がホステスになったのは、父親に経済力がなかったためです。となると、夫人はきちんとした結婚をして、強い夫、父親を持ちたいという憧れがあったのではないでしょうか。

「デヴィ・スカルノ自伝」(文藝春秋)によると、夫人は「日本の大多数の男は、水商売をした女を許さない」と書いています。それが本当だとすると、夫人のターゲットは外国人男性となります。インドネシアはイスラム教の国なので、5人まで妻を持つことができます。
スカルノとの結婚なら、ホステスだったことが問題になることもなく、正式な妻というポジションを得られて、さらに経済力も権力ある。夫人にとって最高の相手と言えるのではないでしょうか。プロポーズをしたのはスカルノという意味で、夫人は「選ばれた」と言えるでしょう。しかし、そのプロポーズがインドネシアでなされたことを考えると、やはり夫人が「スカルノを選んで」インドネシアに行かなければ、結婚は成立していないと思うのです。

結婚のようなマッチングにおいて、「男性に選ばれる」という考え方はロマンチックに解釈されたり、フェミニストの攻撃の対象になったりします。しかし、私が思うにどちらかから一方的に選ばれるというのは、ペットショップの子犬のように金銭が介在した場合だけではないでしょうか。

夫人はwithonlineで、「上昇志向が強かった」と語っていますが、この時点で人生を、そして将来の伴侶を「選んでいる」ことがわかります。マッチングは選び選ばれて決まるもの。
「私はこうありたいの」と言える人、つまり人生を選べる人は、すでに選ばれはじめているような気がするのです。

(文:仁科友里/イラスト:井内愛)

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この記事のライター

1974年生まれ。OL生活をつづったブログが話題となり、2006年「もさ子の女たるもの」(宙出版)でデビュー。「週刊文春」「週刊女性」「女性セブン」にタレント論、女子アナ批評を寄稿。2015年「間違いだらけの婚活にサヨナラ!」(主婦と生活社)が異例の婚活本として話題を呼ぶ。好きな言葉は「勝てば官軍、負ければ賊軍」