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2023年01月21日 10:31 更新

「息子は入園初日から毎朝1年間泣き続けた」子育て中の葛藤と現在地/市井紗耶香さんインタビュー(前編)

4人の子どもの母親であるタレントの市井紗耶香さん。14歳でモーニング娘。としてデビューし、16歳で脱退すると、20歳で結婚&出産、パートとして働きつつ、離婚&再婚……と、意外な波乱万丈人生を歩んでいます。そんな市井さんに、子どもが幼少期のころに抱え続けた葛藤について聞きました。

20歳で出産、子どもと歩む決断

――現在、4人のお子さんのお母様でいらっしゃいます。

市井紗耶香さん(以下、市井) はい、2004年に出産した長女は、現在大学受験真っ最中です。

ーーもうそんなに大きいのですか! 第一子ご出産時は、芸能界を一時引退されましたよね。

市井 「子育てに集中する」という選択を取りました。昔から子どもが好きで、芸能の仕事をしていなければ「保育士になりたい」という夢があったんです。それに、母が私と姉を大切に育ててくれたこともあり、自分に子どもができたら、子どもと一緒にきちんと歩むことを学んで見る必要があると思ったんです。

ーー当時、たしか20代ですよね。

市井 20歳ですね。意外と波乱万丈なんです(笑)。

ーー20歳でその決断、すごいですね。

市井 たくさんの人にそう言っていただけることはありがたいですし、「生き急いでいるんじゃない?」と言われたこともありましたが、14歳から芸能界の仕事をさせていただいていた私としては、生き急いでいるつもりはなかったんです。ただ、18歳の子どもを持つ今の私が当時の自分を振り返ると、子どもが私と同じ人生を歩むという選択をするならば、私は反対してしまうかもしれませんが(笑)。自分の母に、相当な心配をかけちゃったんだろうなと思います。

「自分のことを知らない場所」で、リスタートのアルバイト

ーーそれからは、育児中心の生活になったのですね。

市井 はい。そんななかで、出産2週間後に産後うつ病を経験しまして。母乳が出にくい体質で、母乳外来やよもぎ蒸しなど、あらゆるものを試してもダメでした。当時はまだ今より“母乳神話”が根強くて、「母乳じゃなきゃダメなんだ」というプレッシャーがあったんです。それで悩みに悩んだあげく、母親から「今は粉ミルクでもちゃんと育つよ。大丈夫だよ」と教えてもらったことで、すごく楽になりました。「粉ミルクでがんばってみよう」と、一歩進むことができたんです。

その時期は結構辛かったですね。そのほかにも、睡魔との戦いがあったり、気付いたら丸々1ヶ月間家の中に閉じこもっていたりで、気持ちが滅入る要因がたくさんありましたね。

それから3年後に次女を出産し、社会経験を積ませていただこうとアパレル店や薬局でアルバイトをしました。

ーー履歴書に「元モーニング娘。」と書いたり?

市井 それは書かないです(笑)。自分のことを知らない場所でリスタートしたかったのと、「“子どもの母親”としてきちんと見てほしい」という承認欲求がありました。芸能人だと気付かれてしまうと、いろんなことがコロッと変わるのを実感してきたので、それが辛かったこともありましたしね。たとえばそういう場面を子どもが見たときにどう感じるかな……と。だから子どもの前では常に母親としていたいと、今も思っています。

ーー2人の子どもを育てながら働いたとき、乗り越えなければいけなかったことはありましたか?

市井 限られた時間で働きお給料をいただくパートタイムで、やりがいはすごくありましたが、現実的な話、「割に合わないのではないか!?」と結構なモヤモヤを抱えましたね。

給料と、託児所の高額な保育料のはざまで葛藤する日々

ーーモヤモヤの原因は?

市井 当時、長女が小学生、次女が年長であと半年で小学校入学、というタイミングで引っ越しをすることになりました。それで次女の転園先を探すために区役所に申し込むと、「6,032人待ち」の結果を受け取って、愕然としたんです。いわゆる待機児童ですよね。それで、「あと半年で小学校だから」と、自宅近辺の託児所に預けることにしたんですが、それが高額で。「ここまでして働く意味はあるのかな」「費用対効果はあるのかな」と、いろいろと考えてしまって。ずっとモヤモヤを抱えて、葛藤していました。

ーー葛藤が解消されるのは難しいかと思いますが、どうやってバランスを取っていましたか?

市井 仕事に対して「これはワクワクすることだ」「私が好きでやっているんだ」というモチベーションで繋いでいました。

ーー保育園、幼稚園、それぞれどちらも経験していらっしゃいますね。

市井 長女と次女が幼稚園、今の夫と結婚して2016年に出産した3番目の長男は延長保育がある幼稚園で、2017年に生まれた4番目の三女は保育園です。

ーー上のおふたりと下のおふたりで、預け先を変えたということは、仕事のスタイルを変えたということかと思います。

市井 上と下の出産の間、2012年に再婚し、引っ越しもして、本格的に芸能の仕事に復帰したんです。それでいつでも身軽にちゃんと仕事ができるようにと、延長保育がある幼稚園や、保育園を選択しました。

ーー幼稚園や保育園といえば、朝の見送りが親にとっての最初の難関かと思います。お子さんの反応はどうでしたか?

市井 反応はそれぞれで、長女や次女は「行ってきまーす!」と幼稚園バスに乗り、逆にこちらが寂しいくらいで(笑)。「これは、働けってことよね?」と背中を押してもらえましたが(笑)、長男は初日から1年間、丸々ずーっと泣き続けていました。

泣き続ける子どもと一緒に泣いた、保育園の見送り

ーーそれは辛いですね。

市井 幼稚園に行く道すがら、「いやだ、いやだ、いやだーーー! ギャーーーー!!」となっているのを、引っ張って連れていく。それを毎日、商店街の人たちに見られるんです。「虐待しているんじゃないか」と思われてしまうようで、すごく辛かったですね。

ーーその辛さとどうやって向き合っていましたか?

市井 朝は、先生に預けて背中を向けた瞬間に「私は家族のためにがんばってる!」と気持ちを強く持っていく作業をしていました。子どもを迎えに行くころには、本人はすごく楽しんでいることも「大丈夫だ」と思える要因でした。また、先生方がプロフェッショナルだったので、「安心して任せよう!」と思えました。

それでもやっぱり、そう思えるまでが辛くて。子どもと一緒に泣いちゃったりもしたんですけどね。「悲しい思いをさせてごめんね」と泣いてしまいつつも、「ごめんね」と思うこと自体がダメなんだよな、と思いながら。

ーー先生からの、印象的だった言葉はありますか?

市井 長男は3月生まれなので、同じクラスのお友だちよりもどうしたって成長が遅かったんです。ハサミの使い方やお箸の使い方がままならなかったり、オムツも取れていなかったりと、親としてプレッシャーを感じていました。「なんでママと離れなきゃいけないのか」「なんでみんなができることをできないのか」とか、本人にとってきっと長い1年だったと思うんです。でも、長男の幼稚園の先生は本当に素晴らしい方ばかりで。彼女たちの「お母さん、本当に大丈夫ですよ! 行ってらっしゃい!」の一言だけで、「よし、行ってきます!」という強い気持ちにさせてもらえました。先生方には本当に巡りあえてよかったと思っています。

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後編では、仕事のモチベーションをキープする方法や、夫婦間の家事分担についてお伺いします。

information

市井紗耶香さんが舞台に挑戦します!
舞台「遠き日の落球 ~あの時から続いているから今なんだ~」
2023年2月15日(水)~2月19日(日)
シアターアルファ東京(渋谷区東3-24-7)にて
詳細は市井紗耶香 公式ブログ - 舞台 遠き日の落球 - Powered by LINE (lineblog.me)まで!

市井紗耶香さん プロフィール

1983年12月31日。千葉県出身。1998年にモーニング娘。2期メンバーとしてデビュー。現在は4人の子どもの子育てをしながらタレント、俳優業を精力的におこなっている。2023年には舞台・MCなど活動の幅を広げる予定。『saita』ではお悩み相談「市井紗耶香の#本音で話そう」を連載中。

(取材・文:有山千春 撮影:松野葉子 衣装:Velnica/マイナビ子育て編集部)

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