おでかけ・行事 おでかけ・行事
2021年04月12日 11:50 更新

節句の歴史や由来は? 今さら聞けない節句の基礎知識!

子供が生まれると、ぐっと身近になるイベント、それが節句。しかし、節句について歴史や由来、お祝いの仕方など詳しいことは意外と知らない方のほうが多いのではないでしょうか? そこで節句の歴史や豆知識についてご紹介します。

※記事内の商品を購入した場合、売上の一部がマイナビウーマンに還元されることがあります。

節句の歴史を知ってる!?初節句のルールとは

Lazy dummy

節句とは

節句と聞くと、5月5日の端午の節句や、3月3日の桃の節句を思い浮かべると思いますが、実はそれだけではないことご存知でしたか? 節句とは、日本の四季や季節の節目を、伝統行事を踏まえて祝う式日のこと。1月7日の人日の節句、3月3日の上巳の節句(桃の節句)、5月5日の端午の節句、7月7日の七夕の節句、9月9日の重陽の節句と、全部で5つ存在します。

節句の歴史とは

もともとは中国の春秋戦国時代ごろに発生した思想の陰陽五行説に由来しています。陰陽五行説とは、仏教や儒教と同じく5世紀から6世紀頃に日本に伝わり、中国の三大宗教の一つである道教の道術を取り入れて発展をしたもの。中国では奇数は縁起のいい日、特に1月は新年の始まりであることから別格と考えられていて、逆に偶数は縁起が悪い日と考えられていました。

そのため、3月3日、7月7日など奇数が連なる日は足すと偶数になることから、災いが起こることを避けるために神々に供物と呼ばれる食物をお供えし、人々も同じ食物を食べて邪気払いを行っていました。

後々、そういった供物を神にまつる日そのものを節句と呼ぶようになり、奈良時代には、食物の生産の無事を祝う年中行事として定められました。その後江戸時代に入り、現代の風習へと進化を遂げていくのですが、その由来や歴史については後ほど解説します。

節句はいつ!?

Lazy dummy

五節句の日にち・由来とは? 豆知識も紹介!

五節句は上述したように、1月7日の人日の節句、3月3日の上巳の節句、5月5日の端午の節句、7月7日の七夕の節句、9月9日の重陽の節句があります。それぞれの式日の由来について解説します。

1月7日 人日の節句

新しい年の初めに、春の訪れを感じさせる春の七草(セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ)の入った七草粥を食べ、一年の健康・無病息災を祈ります。旬の食材を食べることで長寿になると考えられており、かつては七草を摘みに行った後、神を祀った棚の前で七草ばやしを歌いながらすりこぎで叩けば、七草の力がさらに引き出せると信じられていたそうです 。

3月3日 上巳の節句

上巳の節句では、神や草などで作った人形を川に流し、厄を祓う風習がありました。一方で貴族間で流行していた「ひいな遊び」という人形遊びの人形と、厄払いをしていた人形が合わさった「流し雛」を厄払いとして川に流すように。これが雛人形のルーツと言われています。江戸時代に入り、3月3日を上巳の節句と定め、女の子の健やかなる成長を祈るとともに、降りかかる厄を雛人形が受け止めるという意味を持って、雛人形が飾られるようになりました。

5月5日 端午の節句

田植えの時期である5月ごろになると、邪気払いの力があると言われていた菖蒲(しょうぶ)とよもぎを軒に刺して、穢れを祓う「五月忌み」という行事を行い豊作を祈願するという風習がありました。この風習が中国から伝来した端午と結びつき、「端午の節句」と呼ばれるようになりました。

現代のように、男の子の成長を願う行事となったのは江戸時代の頃から。この菖蒲が、武道を重んじる「尚武(しょうぶ)」と読み名が同じことから、生まれた男の子が立派に成長し、一族が繁栄することを願う行事として武家の間で広まり、やがて庶民にも定着していくようになりました。

ちなみに端午の節句そのものが5日5日として定着したのは奈良時代以降のこと。端午の端は「はじめ」、「端午」は5月最初の午(うま)の日を指します。端午の午が数字の五と同じことから、5月5日に祝うようになったと言われています。

7月7日 七夕の節句

短冊に願い事を書き、笹の葉に吊るして願い事する中国から伝わった習慣が今でも強く根付いている七夕の節句。

諸説ありますが、女性が針仕事などの上達を祈る乞巧奠(きこうでん)という行事と、秋の豊作を祈る棚機という行事、そして織姫と彦星伝説が合わさって生まれたものと言われています。奈良時代に7月7日と定められ、一般庶民にも広く流通していきました。

9月9日 重陽の節句

現代では、五節句の中で一番馴染みのないものかもしれません。重陽の節句は別名菊の節句とも呼ばれますが、菊は長寿の力があると信じられ、中国では古来から薬草として用いられ、日本でも菊を用いて厄祓いや長寿祈願をする風習が広まり、江戸時代に五節句のひとつとなって親しまれるようになったのです。菊や秋の食材を食卓に並べて不老長寿を祝います。

初節句とは?

Lazy dummy

五節句の中で、ママやパパにとって一番馴染みがあるのはやはり、端午の節句と上巳の節句でしょう。その中でも初節句は、子供が生まれて最初に迎える節句のこと。初節句は生に一度のことですから、盛大にお祝いするご家庭も多いかと思います。

ちなみに節句の日周辺に生まれたなど、節句の日が生後一ヶ月以内に該当する場合は、基本的に翌年に行うことが一般的のよう。生まれて数ヶ月に満たない場合も、翌年に行うケースも多いようです。月齢がまだ小さく初節句を行うタイミングに迷う場合は、各家庭で相談するといいでしょう。

お祝いとお返しのルールとは

地方の家庭では、昔ながらに親戚一同が集まって初節句をお祝いすることもあるようですが、核家族化が著しい都会では、両親だけ、または祖父母を招いて食事会を開き、お祝いするのがほとんどのようです。縁起物が並ぶ節句料理を振る舞い、皆で頂きます。

節句の席で、お祝いを頂くこともあるかと思いますが、お返しに関しては振る舞った食事がお礼がわりとなるため、改まったお礼は基本的に要りません。しかし、お祝いを頂いたのにもかかわらず、お祝いの席に招くことができなかった場合、内祝いとしてお菓子などを贈ります。

節句では何をするの?

迎える初節句の日、何を用意すればいいのか、食事会にはどのようなメニューを用意すればいいのか悩むことが多いですよね。初節句に用意する料理や飾るものについてご紹介します。

Lazy dummy

節句料理を食べる

端午の節句・上巳の節句ともに、初節句は祖父母など近しい人を招いて、食事会を行う場合が多いです。その際に食べる料理に関して、特に明確な決まりがあるわけではありませんが、女の子の場合はちらし寿司やひなあられ、はまぐりのお吸い物や甘酒など、男の子の場合は柏餅やちまき、出世魚と呼ばれる鰤やまっすぐに育つという意味を込めて筍などを頂きます。七夕の節句では、七夕メニューとして素麺を食べたりすることが定番になってきています。

節句人形を飾る

節句に飾る人形は節句人形と呼ばれ、雛人形や五月人形が飾られます。五月人形は3月下旬頃から、雛人形は節分の翌日の立春から2月中旬頃までに飾り始め、節句を迎えたらすぐに片付けるのが一般的です。

節句人形の用意に関しては、従来は母方の実家が揃えるとされていましたが、最近は両家で折半するところもあるなど各家庭によって考え方も違うようです。気になる方は、双方に確認しておくことをおすすめします。

まとめ

五節句は長い歴史があり、時代が変わるにつれてその風習も変化していきました。子供が生まれて初節句を迎えるにあたり、こうして五節句の歴史の深さや由来などを知ると、より行事も楽しめるようになりそうですね。無事に誕生したことに感謝して、来年も節句を元気に迎えられるように初節句をお祝いしてあげましょう!

  • 本記事は公開時点の情報であり、最新のものとは異なる場合があります。予めご了承ください。

PICK UP -PR-

関連記事 RELATED ARTICLE

新着記事 LATEST ARTICLE

PICK UP -PR-