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「叱られた」などの受身表現は誰にも信用されない「能動表現に変えるコツ」

大人同士の関係において、よほどどちらかに非がある場合を除いて一方的に被害者を装うのはタブーです。このような言葉を多用すると「自分がない人」と思われて信頼をなくしてしまいます。では、なぜ非難されるのか、ご紹介します。

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受動表現を多用する人は受身で被害者意識が強い

「受動表現」とは、「れる」「られる」などの受身の表現のことです。この受動表現を多用する人は、被害者意識が強く、責任逃れの名人といわれています。

何かトラブルが起きたとき、責任感のある人は「○○された」という言い方はしないものですが、被害者意識の強い人は自分の非を素直に認めることができず、なんとか責任逃れしようとして「だってOOされたから…」などと言い訳を始めます。これでは人に信用されるわけないですよね。

「受動」を「能動」に変えてみよう

受身の表現である「受動」に対して、「能動」は○○するというような主体的な表現です。受身の表現が身についてしまっている人は、意識して自分の発する言葉を能動的な表現に変えてみましょう。

最初は抵抗があり、難しいかもしれませんが、場数を踏むうちに自分に自信がついてきて、受動表現は減っていくものです。

被害者意識の強い人は、自分に自信がないのです。常に他人の評価を気にして、自分がどう思われているかということに異常にこだわります。背景には、それまでの人生であまり自分の存在を認められてこなかったという事情があり、「私は悪くない!」と虚勢を張っていないと自分を保つことができません。そのため、被害者のようでありながら、他人に迷惑をかけておいて謝罪もできない加害者であるという、なんともアンバランスな状態に陥ります。

この状況を打開していくためには、勇気を出して被害者意識をなくす必要があります。自分の言動に責任を持ち、それまでは「○○された」と表現していた言葉を「私が○○した」と言い換えてみるのです。

そんなことをしたら余計に責められるのではないかと不安に思うかもしれません。しかし、ちゃんと責任がとれる人は、他人から信頼され、大事に扱われます。こういう成功体験を積み重ねていくことでいつしか強がりではない、本物の自信を身につけることができるでしょう。

※この記事は2013年09月12日に公開されたものです

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