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うらやましい? 驚き? 意外すぎる江戸時代のマナー「通り名」「銭湯の混浴」

堀江 宏樹

着物江戸時代のマナーの基本は「他人を尊重する」に尽きます。1800年前後の江戸の街の人口は、なんと100~120万人程度もありました。同時期のロンドンが90万人程度、パリが60万人程度であることからも、江戸は世界でも最大級の都市だったことがわかります。

しかし、江戸市中といえば現代のJR山手線の内側にあたる、かなり狭いエリアくらいしかなく、しかもそのほぼ7割といわれる土地が、将軍様にお仕えする御家人・旗本の御屋敷や、日本全国に約400あった諸藩の御屋敷の類、さらには寺社のために独占されていたのですね。

庶民たちは残り3割の土地で暮らすことになりますが、この非常に狭い土地で、多くの、しかも異なる個性の人々が暮らすことになった江戸では他人を尊重するマナー文化が育ちました。プライバシーのない長屋ぐらしに必要なのは、他人の目を気にしながら静かに暮らすというテクニックでしたし、フレンドリーに付き合う一方、他人の身の上を必要以上に詮索しないのも大事でした。江戸で暮らす者のマナーとして、名前や身の上を初対面の人に尋ねるのは失礼な行為だったのです。

江戸時代では庶民も武士も、本名以外に多くの通り名をもっていました。時代劇などに出てくる、武士が呼び合っている名前は基本的に諱(いみな)で、普段はクチにすることを家族でも遠慮しました。武家など支配階級の人々には基本的に公式文書のサインなどにしか使わない諱(いみな)という名前があったんですね。いわば実印に相当するような名前があったのです。

また、庶民でも各人がその時どきの己のステイタスや、希望に応じて、インターネット社会のハンドルネームに相当するような「通り名」を(自分で勝手に決めて)いくつかもち、TPOで名乗り分けていたのです。

人情に厚い暮らしを営む中には「見て見ぬフリ」をときにはする、ということも入っていました。さらに江戸市中は土地の狭さの問題で(とくに下町の)銭湯は混浴なので、他人のヌードに対しても「見て見ぬフリ」が大事でした。銭湯といえば庶民の交流スペースというイメージがありますが、防火目的から武士の屋敷にも風呂がない場合も多く、身分を超えて人々が出入りしました。

このため、武士といえども威張ってはいられず、大勢の人でごった返す時間帯の銭湯ではしきりに「声がけ」が行われました。「冷えものでござい~(浴槽に浸かる前の身体です。ぶつかったらごめんなさい!)」という、決まり文句などがそれ。
幕末以降に日本に来た外国人は、これらの習慣に心底たまげたようです。たとえば黒船とともに横浜近辺の下田に来港したことで有名な、アメリカのペリー総督。彼は下田の銭湯が男女混浴であり、なおかつ若い女性も平気で裸になることを知って、驚愕しています。『ペリー総督日本遠征記』に掲載された、男女が混浴しているさし絵は「日本人はいやらしい!」との誤解を、当時の欧米人に植えつけてしまったそうです(苦笑)。それも裸や裸の見せ方に対するマナーの違いに過ぎなかったのですが。

ちなみに、肌を見せることに対して、江戸時代の日本人全体がおおらかだったのだ……と考えるのは間違いでして、こんなエピソードも存在しています。

17世紀中盤のお話ですが、三代将軍・家光が亡くなった際、彼と衆道の関係だった(つまり今でいえば、同性婚のパートナーのような存在だった)堀田正盛という武士が、殉死をしているんですね。その時、堀田は「家光様に寵愛された私の肌を、アカの他人に見せたくない」といって、着衣のまま、みごとに腹をかっさばいて果てた……という色んな意味ですごい話が、武士道のバイブル『葉隠』の中には出てきます。もちろん『葉隠』では、それを褒め称えているわけですが、男性であっても肌をみだりに見せないことが、亡き愛するパートナーにして主君への義理立てであり、マナーでもあったんですね。

なんだか裸の話ばかりになってしまいましたが、マナーとモラルは密接な関係があるものです。そしてモラルとは、時代によって恐ろしいほど変化してしまうものなんですねぇ。
ゆるいんだか、ストイックなのか、現代人にはよくわからない。だけどおもしろい、お江戸のマナーのお話でした。


(堀江宏樹)

※写真と本文は関係ありません

※この記事は2014年08月03日に公開されたものです

堀江 宏樹

プロフィール歴史エッセイスト。古今東西の恋愛史や、貴族文化などに関心が高い。

公式ブログ「橙通信」
http://hirokky.exblog.jp/


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