実はハーフ美人!? 『源氏物語』屈指のブサイク女子【末摘花】の素顔にせまる
みなさまごきげんよう、歴史エッセイストの堀江宏樹です。先日、光源氏がなぜか、恋してしまった「残念な女」空蝉のお話をしました。空蝉とおなじ『源氏物語』の登場人物でも、「残念な女」を通り越して、すさまじい不美人キャラとして有名な末摘花についても触れておきましょうか。
末摘花の容貌については次のとおりです。
「なんじゃこれ、と(光源氏が)思ったものは、鼻であった。目に飛び込んでくる。ゾウのようだ」。さらに「あきれるくらいに鼻が高いうえにビョーンと伸びた先が赤い」とまで言われています(これは、雪が降った早朝で寒かったからなんですが)。
しかも、彼女の顔を光源氏が知ったのは、彼と末摘花が結婚式を挙げた後、しばらくしてからのことでした。「えっ、ろくに顔も知らない相手とセックスするだけじゃなくて、結婚した後まで顔のことを知らないの!?」ってビックリするでしょうが、こたえはイエスです。
たしかに自分を美人だといいきれる自信のある女性は、早い時期から積極的に顔を見せていったでしょう。当時は基本的に通い婚ですし、「正妻」か「それ以外の妻」かの区別は結婚した順番などではなく、男が女に感じる愛情の強さで決まります(笑)。なにかウリのない女のもとに、男は長く留まってはくれませんから。
しかし、末摘花は光源氏が「とびきり美人がいる」という偽の噂にひっかかって、末摘花の屋敷を訪れた後、結婚式も終え、とにかく関係が簡単に「クーリングオフ」できなくなるくらいに煮詰まってから、はじめてゾウのような鼻をぶらさげたツラ……じゃなくてお顔を見せてるんですねぇ。傍目には、ものすごい生存戦略だと思わせられますが、末摘花は全てが計算じゃなく、奥手で臆病なのが誰の眼にも透けているから、許されちゃうんです(すくなくとも、光源氏からは)。ちなみに末摘花はその後も光源氏から、文句をいわれつつも最後まで添い遂げる妻たちの一人として、生き抜きます。
さて、この末摘花のモデルと噂される人物が実際にいるんですね。
しかしそれは男性です。平安時代前期を生きた、重明(しげあきら)親王の王子・源邦正(みなもとのくにまさ)がその人なんですが、彼は顔色が青白く、容貌が悪かったため「青侍従」などと言われ、バカにされていました。清少納言の『枕草子』にも、ちょっと抜けてるところがみんなに愛されている「お笑い担当」の男として何回も登場しています。
この源邦正の母親は、通称「(イラン系の外国人である)ソグド人」だったという説もあるんですね。源邦正の父親が、中国大陸と日本をむすぶ輸入産業に熱心にかかわっていたという経歴と、さらに「顔色が青白く、容貌が悪かった」という源邦正の容貌をヒントとした仮説ですが。
さらに「源邦正が、末摘花のモデル」と読者にアピールするような要素は『源氏物語』の作中にも出てきます。末摘花は、光源氏の時代には数十年前の流行ゆえに「ダサいアイテム」と思われていた、黒いテンの毛皮の上着で登場するんです。邦正の父親が輸入していたもののひとつがこの毛皮なんですねぇ。
ちなみに末摘花にも、鼻がやたらと高すぎるという設定があるわけですが、本当に源邦正がイラン系の母を持つ男であったのなら、顔色はともかく、平安時代の理想とされた「クッキリハッキリした容貌」の持ち主だったんじゃないのと思いませんか? 同時に末摘花もブスどころか、ホントはハーフ系の美人だったのでは、とも……。しかし、『源氏物語』や『枕草子』の時代の日本は、すでに鎖国をしていたという状況が絡んでくるのです。
鎖国後の貴族たちは「日本らしい美」、「日本だけの美」についてこだわりを深めていきました。それが歴史や古典の教科書に出てくる「国風文化」という用語の背景です。美人(そして美男子)にも「国風美」が求められるようになり、「目鼻立ちがクッキリ」という要素は満たしていても、外国人めいた容貌は逆に「好ましくない顔」になってしまったのです。
芸能人でたとえると仲間由紀恵ならOKでも、ローラなら「うーん……OKじゃない」みたいな。そして、「希少性のある容貌が美しい」なんていいますが、それって実は根拠はないんですよね。いうなれば、平均的な容貌を極めた場合にこそ、人はそこに「美」を見出すわけです。
せっかくのエキゾチックな容貌が評価されなかった源邦正は、生まれる時代をまちがえてしまった男性ですよね。同時に末摘花も架空の人物とはいえ、なんだか哀れ。大多数の日本人が外国人のエキゾチックな容貌を「美しい」と感じはじめたのは、明治時代も半ばを過ぎたあたりからでした。これらについては、また別の機会にお話しましょう。
(堀江宏樹)
※写真と本文は関係ありません
※この記事は2014年07月23日に公開されたものです