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驚愕!! 排泄物が高額で売れる夢のような時代があった! お江戸ビックリ事情

屋敷みなさまごきげんよう、歴史エッセイストの堀江宏樹です。突然ですが、みなさんの嫌いな家事のひとつが、トイレ掃除ではないでしょうか。「幸せの女神様がトイレにいるとか、理由付けでもしなきゃやってらんないわー」って気持ちは、よ~くわかります。

でも昔はもっと大変だったハズ。汲み取り式ですし、現代のような水道がなかったのですから。ところがどっこい、江戸時代には各家のトイレ掃除を喜んで請け負ってくれる人たちがいたのです。それどころか、溜まった排泄物はお金になったんです!

江戸時代初期には江戸近郊の農家の人たちが、排泄物を引き取っていってくれました。畑の肥料として、使うためですね。江戸中期以降には、排泄物を汲み取り、お金を払って引き取った上に、ついでに掃除していってもくれるというシステムが出来上がりました。つまり、トイレを汚しても掃除はしたくないって人にとっては、夢のような環境があったのです。

当時は、高貴な方の排泄物であればあるほど、プレミアがつきました。肥料に使うのですから、栄養状態が良いほうが畑の作物が喜ぶと考えられたのです。ただし、身分に関係なく、お掃除の際はニオイがすさまじかったようですね。

幕末に生きた、旗本(将軍直属の上流武士)の妻だった井関隆子という女性は、江戸城にも近い九段坂下(現在の千代田区あたり)の飯田町にある、350坪もある御屋敷に暮らしておりました。当然、お隣も広大な御屋敷だったでしょうが、そんな環境でもなお、隣家で汲み取りしているときの様子やらニオイは、ダイレクトに伝わるものらしく、「食事時にやられると困る」などと書きのこしています(『井関隆子日記』)。

ちなみに1803年、お江戸の町になんと幕府公認のハイクラス公衆トイレが設置されました。江戸城の将軍様のように、用足しの最中に夏は女中が扇いでくれたり、冬は火鉢をお尻に向けてくれたり……なんてことはなかったようですが、広い個室でのびのびと用足しができたようです。しかも無料。江戸市中に10カ所ほどあったそうですが、年間の維持費が五百両。現代の価値にして4,000万弱~5,000万円ほどにあたる維持費を、すべて溜まった排泄物を売るだけでまかなえた……というのですから、もはやビックリするしかないです。いかに排泄物に高値が付いたか、お分かりになるでしょうか?

余談ですが、江戸城大奥で暮らす、将軍様の御台所(将軍の正妻)のトイレは「御用所」とよばれていました。一説に18メートルもの深く掘られた穴に向かって、用足しをするのですが、これが「一生一穴式」なんです。途中には、鉄格子も嵌められていたそうです。
また、各種の拭き取りに使われた紙も捨てるどころか、完全焼却処分されました。御台様の排泄物には絶対に触れさせない、というセキュリティ意識の高さには驚くばかりです。

ちなみに将軍様の排泄物はフツーに、総ひのき造りのおまるに毎回産み落とされていたわですよ。御台様の排泄物にだけ、なぜ、そこまでの厳重なセキュリティをされていたのか、逆に疑問を感じませんか? そもそもトイレの深い穴に、恐ろしいオンナの秘密も隠そうと思えばできますからね……そう考えると、怖いですよね? ま、下品な勘ぐりはここらへんで終了(今さらという感じですが)。お江戸のトイレ事情でした。


著者:堀江宏樹
歴史エッセイスト。古今東西の恋愛史や、貴族文化などに関心が高い。
公式ブログ「橙通信」http://hirokky.exblog.jp/

※写真と本文は関係ありません

※この記事は2014年06月20日に公開されたものです

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